✥  六代国王回顧録

王を退いた主人公が半生をつらつら振り返る。愛A。




 もっとも古い記憶は火だ。暗がりの中で炉の炎がささやくように燃えている。鍋から上がる湯気が向こうにいる誰かの像を見づらくしている。私は瞳に映るものの意味もわからずただ受け入れている。赤子の記憶だ。あるいは時間によって変質した記憶らしきものの思い出。
 幼少の頃の思い出らしい思い出はあまりない。住んでいた村は貧乏な過疎地で、私も母も村同様に貧しかった。いつもなにかが不足していた。鍋や鋤がすり減っても直す余裕はなく、もう少しもってくれよと祈るばかりだった。私たちは痩せた土地にへばりつくように野良仕事をこなし、糊口を凌いだ。口にするのは日に二度の薄い粥と青物ばかりで、粥は芒で味付けしたようなひどい代物だった。
 あれはいつだったか、玉子を買えたとき、両手で胸に抱えて家路についたのを覚えている。駆け出したくて足の裏がむずむずするような心地で、けれども走って転ぶわけにはいかないと、普段より慎重に歩いた。幸い我が家には玄関扉と呼べるような仕切りはなかったので、どうやって扉を開けようかと悩む必要はなかった。何ごとにも良い側面はあるものだ。
 ひょっとすると、当時の慢性的な食糧不足から来る不安と飢餓感が、私を王たるべく奔走させた遠因かもしれない。

 私はその小さな村で、母と二人つましく暮らしていた。母は優しかった。しかし、心の弱い人だった。彼女は最後まできちんと物事をやり遂げる体力がなかったし、長期的な計画はもちろん、短期目標を立てるといった考えも持てなかった。例えば次の収穫までには鎌を研いでおかなければならないとか、そんなことだ。長期的な展望は無理にしても、一季先のことくらいは考えておいても良さそうなものだったのに。
 しかしそれも今振り返って思えば、である。幼い私は、なぜ母はこうも行き当たりばったりなのだろうと不満に思うばかりだった。私もまた、ただの子供だった。

 城に来てから耳に入ってきた、私の母が若い時分に古神殿の膝元たるディットンで働いていた、という噂は、事実であるようだ。
 母が南にいた頃の話は本人から聞いたことはない。子供の頃の私は自分のことで手一杯の生活をしていたので、一緒に暮らす人が何者であるかと考えをめぐらすこともなかった。母も昔は子供だった、娘時代があったということすらよくわかっていなかった。
 しかしまあ、子にとっては親の素性に思い巡らすことなく成長する方が幸せだろう。子供の私は幸福で、彼女が死んで不幸になったという話ではないが。
 実母の来歴を他人から聞かされるのもおかしな話だが、親とはそんな存在かもしれない。

 話が前後するが、私は前述した農村で、今から思えばのんきに暮らしていたが、母が事故で死に印を見いだされ城に呼ばれることになった。母の来歴は城で聞いたものである。王となってからいくらか調べてみたが、時期や風体から見てどうも母らしい女がある貴族の下働きとして勤めていたようだ、という程度のことが分かっただけであった。知ったところでどうというものでもないのだが、子細がはっきりしないことはいくらか残念に感じた。
 父についてはとんと聞かない。何かしら適当な噂でもありそうなものだが、まったく何の影もなく、また我こそは父であると名を上げるような度胸の持ち主も現れなかった。そんなことがいつかあるのではと気を揉み、幾ばくか楽しみにしていたのだが。

 この、父の出生の不明さが、前王(つまり私だ)の父は現人神で、憂えた神が私を地上に送り出した、などという荒唐無稽の物語を生み出した誘因なのではないだろうか。この話は私を面白がらせた。
 夫にこの話を聞かせたところ、ひどく冷たい目で見られ、話の矛盾を指摘した後「下らん」と締めくくって行ってしまった。夫は神の話は嫌がる。しかしまあ、面白がるのは下らないからであるので、私たちの感性は同じなのだろう。
 そういうわけで父の話はここに書くようなことはない。まあ、おそらく碌でもない人間だろう。孕ませた女の責任もとれない、あるいは取らせてもらえないような人柄である。あるいは妊娠を知る前に山へと旅立ったか……しかし、あの母一人で繋がりを乗り越えられたかは怪しい。

 繋がりと言えば、私が一人目を妊娠したときは生みの繋がりがひどく重く、夫は大変つらかったようだ。ところが二人目のときになると出産で体質が変わったからか、繋がりは軽く、夫は元気いっぱいで、私が彼に愛想を尽かし他の男と子を成したのでは、などと城内で密かに囁かれていた。夫は国王に不敬だとずいぶん怒っていた。
 実際のところ、誰にも知られず別の男と逢い引きするような時間的、資金的、場所的余裕はあの城にない。あれほど皆が鼻を突き合わせて暮らしているというのにこのような話が飛び出るのだから、人間の想像という娯楽は節操がない。
 私も夫も父の不在、あるいは存在に悩まされてきたが、私の子らがそのような対象となるとは思いもよらなかった。
 これは生みの繋がりを持つ我ら生物には当然つきまとう問題であろう。

 幼少期に暮らしていた村でも、そのような醜聞は時に持ち上がった。田舎の娯楽、特に大人にとっての娯楽は人との関わりの中でしかまず産まれ得ないと言ってよい。その骨頂が色恋であろう。
 生みの繋がりというものは、夫婦の絆を深めいたわり合いの心を互いにもたらすが最も善い影響だとするならば、悪しき結果が出ることも、疑心と悪徳の種をまくこともある。
 ある男に生みの繋がりとよく似た症状があらわれたとき、彼は独り身だった。その男はある夫婦の妻に懸想しており、自分は彼女と特別の関係を持っているというようなことを村人たちにほのめかしていた。誰もそんな話を信じていなかった。男は嘘つきで、程度の低い人間だと思われていた。ただ可哀想な人だと思われていたから見逃されてきたのだ。
 しかし男が懸想している女が妊娠していることがわかり、彼女の夫にはそれらしい症状が一向にあらわれずにいると皆の見る目が変わっていった。あれほど馬鹿にしていた男の話を信じるようになり、貞淑な妻は不貞を働いた女となり、誠実な夫は間抜け扱いされた。
 こんなにもあっさりと人の評価は変わるのかと、子供の私はひどく驚いた。何年もかけて積み上げてきたものも、ささいなことで簡単に崩れてしまうのだなと呆れていた。一度くらい過ちがあったからとて、今までの関係や評価を何もかも覆してしまうことはないだろうと思っていた。私に多少の痣があったところで隠すほどのことでもないと思っていたように。
 夫婦の妻は最後まで男との関係を否定し続けた。そして一人で子供を産んだ。生まれてきた赤子は、誰が見ても夫の血を引いていた。それほどよく似ていた。しかし一度冷めた夫婦仲は戻らなかった。
 しばらく後、彼女は赤子を連れて村から出ていった。罪悪感からか皆は強く引き留めたが、彼女は村人たちを手厳しく拒否した。
 生みの繋がりはこのように不幸を増幅させることもある。

 生みの繋がりは動物にもあるが、人だけの悩みは性別選択であろう。
 選択にあって、私は心に決めた人がいたので迷うことはなかった。
 幼い頃母と二人暮らしていた時分は男手が欲しいと思うこともしばしばだったので、将来は男だろうかと漠然と考えていた。だが母のいない時となってはことさら悩む理由はなかったので、すんなりと女を選び、それになじんだ。
 苦悩する資質を持って生まれたような夫はやはり性別選びもすこぶる悩んだらしい。まあ夫が女を選んでいたら私が男を選ぶだけであるので、大した違いはなかったろう。

 話が大幅にずれたが、幼い頃の思い出はこのようなものだ。その後、城に迎えられ王となるまではいささか苦労したが、周囲の助けもあり首尾よくいった。
 実際、母の死は私にとって大変な衝撃ではあったが、どことなく納得もしていた。
 母は弱い人であった。それも、どこか浮き世離れし、地に足のつかない人で、たまにぼんやりと笑い、日々の仕事をずさんに片付け、よく忘れ物をした。子供の頃はだらしなさに怒っていたように思うが、今考えるとその怒りは恐れだった。私は怯えていた、私とは違う物の見方をし違う考えを持つ母の中の他者性に。母にまとわりついて消えない暗い死の影に。自分を置いてふとどこかに行ってしまうのではないかと、子供らしい未熟さで恐れていた。
 子供は親に媚びる生き物だ。子を真に守り、育んで助けてくれるのは親しかいないからだ。子は親にどのような仕打ちを受けても親を庇い、擁護し、肯定する。子の親への愛は、親の子へのそれをはるかに上回る。彼らは痛々しいほど切実に親を求める。それらは生存に直接関わる特定個人に対するへつらいである。
 長い時間をかけてだが、母の死はそのことを私に教えた。私は母に私の保護者であることを求めた。もしかしたらいつか母は私を捨てるかもしれないと、ときに怯えながら。

 さて、その後私は王位継承権を持つことがわかり城に呼ばれたのだが、その頃から私は己が王になることに疑いを持たなかった。我こそが王たろうと、まったく平然と考えていた。私は六代国王となり、この国を一歩先に推し進める者だと信じて疑わなかった。
 結果的にそれは間違いではなかった。それを疑ったこともないが、その道中は自信を失いかけることも数度あった。その最たるものが、件のランテ派による反乱未遂である。
 私が第一子を妊娠中に持ち上がったこの計画は、幸い未然に防ぐことができたが、時局が違えば、目論見がもう少しでも先に進められていたならば、国の基盤を揺るがす惨事を引き起こしたやもしれない。
 これに関して夫は、立場から言って己こそが彼らとの橋渡しをしなくてはならなかったのにと、いたく悔いているようだった。その反動からだろう、その後は過剰なほどの熱心さで、ほうぼうの貴族との連絡を密にすべく奔走していた。
 私に言わせれば夫はすでにランテの名を過去にした者であるし、責任の多くはランテの領主にある。無論彼のあずかり知らぬところで進んでいた話ではあるが、知らぬところで話が進んでいることがすでに問題がある。政に加われども熱意はなく、その表面的な態度はいかにも頼りなく、一大派閥の長として信用を勝ち得ていないのは明らかだった。彼らを押さえ込めなかったのはひとえに彼の徳のなさであるように思う。あの男に夫ほどの責任感があればと思わずにはいられなかった。さらにはあのなまくらな態度は表層で彼こそが主犯だとはまったく考えられない。そうであったならまだ見所がある。

 私とかの人の関係は曰く言いがたい。個人的には好かない男だが、敵とは思っておらず、かといって敵ではないとはとても言えまい。
 先に述べたように私は王となるべくして城に来た。そしてその十四年前から王たれとそこにあったのが彼である。
 私が持つ王の後継の証を認めた彼は、己と玉座を奪い合う気はあるかと訊いてきた。その様子は牽制でも脅しでも挑発でもない。対等に、つまりは胸を貸してやるといった風であった。そのときから私は彼とは距離を置いて接しようと考えたものだ。軽んじられて腹が立ったわけではない。彼が侮るだけの理由はいくらでもある。私にとって冠は、勝者に贈られる記念品ではない、というだけの話だ。
 ランテの一派が簒奪を企てていたこと自体は、それほど驚かなかった。神が地の支配者たれと、私と彼の二人同時に命じたのはそのためであるからだ。
 庶人たる私と、大貴族たる彼と。
 私は世の人が言うように、彼が私に打ち負かされるために配置された駒だとは思わない。神は采配を振らないからだ。神は人の世の道行きを人の手にゆだねられたのだ。彼が王となる世もまたあり得た。
 そのように言う人の本音は様々であろうが。

 正当なる支配者を打ち負かしてこそ私の出自が正しいとされる逆説めいたものを信じる人たちがいる。つまりは、箔がつくという考えだ。神はそのようなことはなされない。彼が私を退けても彼の正当性は増進されないからである。
 また、私は、私が王として不甲斐ないためにあのようなことが持ち上がったとは考えない。なぜなら人の望みは果てしなく、要求は常に段階を追って拡大していくものだからだ。過去の栄光を忘れられぬ者達に、それは汝らには過ぎた代物だったと納得させるのは一朝一夕にはゆかない。しかし計画が不首尾に終わったことで身をもって学んだことだろう。
 この国は変わると私が真に思えたのも、このときだったかもしれない。
 もしも私の冠に異議ありと叫ぶ者が民の賛同を得、私の首にまで刃を運ぶことが出来たのなら、そのときばかりは我が統治に失策有りと認めようものだが、幸いにもそのようなことは起こらなかった。
 私は神に選ばれた身ではあるが、さりとて万能ではなく、言うまでもなく無能でもない。他の人間と同じように物事を一つ一つ進めるだけの力しか持たない存在である。それだけあれば十分とも言えるが。
 私にとっても良い警告となった。私が対応を誤れば、この国は望ましくない方へと簡単に転ぶのだ。戦の時代は遠く過ぎ、太平の世で政治の神髄は即ち調節のためにあると、なかば思いかけていた私の目を覚ますような出来事だった。

 この騒動の中で生まれた子は、このような事情があったために盛大に祝うということもなかった。無事に産まれてくれただけで私としては御の字である。
 息子の父たる夫の喜びようは大変なものであった。大仰に騒ぐ人ではないが、言葉の端々、行動のあれこれからの彼の喜びが溢れていた。
 いつだったか、礼を言われたことがあった。子を前にして、二人で話していたとき、不意に黙りしばらく子を見つめていた夫が小さく「ありがとう」と呟いた。何に対してかと彼を見れば、その目がわずかに滲んでいた。私は何も言わないことにし、頭を何度か撫でてやった。夫は苦笑して、少し目を伏せ、私の手を取って口付けてくれた。

 一人目が生まれ程なくして印持ちが見つかった知らせが入った。二代続けての庶人である。私のような孤児ではないが、しかし貴族ではないことの影響はことのほど大きかった。
 新しい継承者が産まれたとは言っても、彼はすぐさま城に来たわけではない。事情があり、彼は三つか四つの頃城に来た。あるいは五つだったか。とにかく十四より遅いということはない。色々言う者もあったが、私は十四で城に来て十五で王になったのだからと言えば多くは引き下がった。
 そういえば、五代リリアノも成人するまで登城されなかったはずだ。いや、四代もだっただろうか。初代は間違いないのだが。

 七代国王となる寵愛者とその一家が城で暮らすようになり、私は彼らに自らを重ねて考えずにはいられなかった。もしも母が存命中に私の印が世に露呈していたら、というやくたいもない想像だ。そうなれば五代様の性格からして私は母共々城で生活することとなっただろう。しかし、母にここでの暮らしはとても耐えきれないように感じられた。彼女が清貧な人だからではない。母は正直ではあったが、怠惰でもあった。
 あらゆる物事を先延ばしにし、我慢できるものは忍耐でやり過ごし、面倒はなるたけ避けようとした。特別賢くも慎重でもない人のそのような傾向は、この城にあっては単なる愚鈍、無教養の野人とそしりを受けただろう。

 お主の母君はお主を思うあまりに彼方へ逃げたのだろうと、リリアノに言われたことがある。その言葉に私はひどく腹を立てた。ほとんど激昂したと言っていい。沸き立った怒りは私の表層、表情や態度に届く以前に急速に静まった。リリアノは何もおかしなことは言っていない。彼女からすれば親が子を想うことは当然であり、玉座の後継者とすることに尻込みするのも言うまでも無いことだ。望んで王になろうとしている私にとっては、穏やかには聞けないが。
 他人には他人の価値観がある。死者の内面を語ってはならない。

 あれはいつだったろう、朝か、夜か、肌寒い薄暗い家の中で額の布をはずし手ぬぐいで顔を拭っていたときだ。あんたの方が先だったらねえ、と母はぼんやりと呟いた。母は私を見ていた。私の額を。
 今何か言ったかと聞き返すと、母はやはりぼんやりと、何か言ったかい、と同じ言葉で聞き返した。私はあきらめて布を元通り額に巻いた。そしてすぐに忘れてしまった。
 もしも私が先だったなら。考えるまでもない、生まれ順のことだ。私がまだ腹の中にいるとき彼は誕生したのだろう。新たな継承者が正しきランテの血筋に生まれたことは国中につぶさに伝わっただろう。目に見えるようだ。母もそれを聞いた。どう聞いたのだろう。まったくの他人事だろうか。それとも息子が候補者と年が近いことで何か得があるか、損があるかなど夢想したりしたのだろうか。いやもしかしたら、まだ自分が妊娠していたことすら知らなかったかもしれない。
 私の額を見てから、決断するまでにどれほど時間をかけたのだろう。父や産婆は、母の両親は、母の友人は、決定にどんな役目を果たしたのだろう。そんな人たちは周りにいなかったのだろうか。何もかも捨ててあの村まで顔を隠し額を隠して逃げてきたのだろうか。
 私がもう一人の寵愛者を嫌うのは、母を思い出すからでもある。もしもこの男がいなければ、母は自ら城に進み出て、私は母と二人城で暮らしたのか。単なる夢想ではある。けれども軟らかな椅子に腰掛けていつものぼんやりした微笑みを浮かべる母の顔は、いつも私の胸を締め付ける。
 想像の中で母の指先は白いままだ。そして、そうあっても良かったはずだ。
 おそらくは、母がこの城にあれば私の足かせになっただろう。自らを玉座の後継者と考えなかったかもしれないが。そのとき私が神の意志をどのように読み解いたか、それは永遠にわからずとも良いことだ。
 平行してそのようにも考えながら、私は母と城で暮らしたありもしない十四年を思い出す。

 七代候補者として呼ばれた少年は、物静かな子供だった。いつもどこか上の空のような顔をして、知らぬまに側にいたりいなくなったりした。溌剌としているわけではないが、聡明であり、得意な魅力を有していた。彼が静かに微笑んでいると騒がしかった場がいつしか静かになり、皆が彼の言葉を待つような空気になった。多くの人が彼の判断を信頼した。
 夫は少年が気に入ったらしく、あれこれと世話を焼き、話を聞いてやっていたようだった。日々の話の中に候補者の動向が入ってくるようになり、実子のように案じていた。
 不思議なことに、夫は実の息子二人については心配したり気を揉んだりといったことがほとんどなかった。この心理はよくわからないが、息子たちは必ず、ただしく幸福になると信じていたようだった。
 心配性で、何かにつけ大げさに捉える夫にしてはずいぶんながさつさであり、楽観視であった。これに関しては私の方が不安を覚えるほどだった。
 私と夫の思惑はどうあれ、息子たちは望んだ以上に立派に成長した。それぞれ自ら信じた道を進める、賢く責任ある大人となってくれた。夫が正しかった。しかし、彼が何を信頼してあのように大きく構えていられたのかは未だによくわからない。

 夫についても記しておこう。
 この回顧録を書くことを思い至った契機は彼にある。
 文字と文章の書き方を覚えて以来、私の書くものと言えば必要に迫られて作成した書類ばかりだった。彼もそのようなことを言ったはずだ。文を綴るということは他人に己の考えを伝えること、それは新しい口だと。ただそのとき彼が言わなかったこともある。人は自分のためだけに文章を書くこともあること、それは別段珍しいことでもないこと、当の本人も色々と好き勝手な事物を書き付けていたことなどだ。
 最近になって、夫が個人的に書いたものを特別に読ませてもらい、こちらとしてはいささか呆れた。私にはあれほど継承者として立場を自覚した行動を求めながらこのように個人的な楽しみをこっそり隠していたとは。
 夫はこういう傾向が強いように思う。二面性を持つというわけでもないのだが、二枚舌というのか、本心や大切なものはいつも隠しておくたちなのだ。
 彼がどんなものを書いていたのかは記さない。それは私だけが知ることの出来る、妻だけの特権である。
 発表を前提としない文章はなんのためにあるのか、習作かと聞くと、彼は不意を突かれたように困惑していた。しばらく考え、自分のためだろうかと曖昧に答え、よくわからないと言うとならば自分でも試してみたら良いのではないかと勧めてきた。
 では何を書いてみようかしらと考えたときに思い出したのは、王城の図書室と神殿書庫の図書での歴代王の描写の違いだ。立場によって変わる解釈に本人の見解があるのは目新しくて良いのではないかと考えた。
 この文章はまだ習作である。私は自分のために書くことに不慣れであるので、まずは思いついたことをあれこれと書き留めている。

 夫の話に戻る。
 生来、私は自分の力で得たものを偶然手に入れたものより尊ぶたちであるが、夫に関しては事情が変わる。彼に関しては幸運が重なったとしかいいようがない。
 あの人を手に入れるため多少の労力を要したが、それでもそこにたどり着くまではほとんど偶然だった。私の思惑と彼の思惑、双方の感情と、すべての時機が絡み合って進み、気がつけば私たちはそこにいたのだ。人は本質的には選択することなど出来ず、それらは全て日々の積み重ねの中で決定していっているのだと、その人がその人であることで道は定まっていくのだということを、この出来事で私は身にしみた。
 ある日目覚め、彼が私の部屋を訪ねてきたとき、なんとしてもこの男を手に入れたいと願った。私の中にあのような激烈な情動があるとはついぞ知らなかった。
 結婚して数十年たつが、私が今生で得た最も価値あるものは彼ではないかと時折思う。

 次期継承者と家族たちが城に来て以降、政情は安定期に入った。王候補が二代続けて庶出であることの貴族たちへの心理的影響は大きかったと見える。この国がどのようにして成り立ったのか、思い出した者も多かろう。
 貴族社会に対してはこのように色々と波風立つこともあったが、官吏らからの私への評価は一定して良かった。
 政ほど虚しいものはない、と言う人もある。決して終わりがなく、正解もなく、あちらを立てればこちらが立たずの繰り返しに消耗してゆく人々だ。濁流に押し流されてゆく気分、流れにあがき続けいつしか足をすくわれると怯え続ける日々、私もときにそんな恐ろしさに身がすくむことがあった。
 私は前に進んでいるとの実感が私の萎えかけた脚を叱咤し、奮い立たせた。それは具体的な実数や視察での現状で実感した。人口や収穫量の増加、死者数の減少。子供たちはどんなときも希望の象徴だ。

 私の元に二人目の赤子が来てくれたのは、二十代も半ばになってからだった。候補者が城に来てくれた後のことである。いくらか精神的な重圧から解放されたのだろう。体とは思いも寄らぬところで正直さを発揮するものだ。
 貴族の仕事の一つに子を成すことが挙げられるが、私を貴族と呼ぶのは少々難があるように思う。そして、言ってしまえば、夫も貴族社会のつまはじき者だ。我々には守るべき家も領地もない。一代限りの栄光だと皆が言うことに私も同意している。それで良いとも思っているが、子供たちに苦労をかけたいとも思わない。まさか食うに困ると言うことはないだろうが、見えている多難を前に無策に増やすのもためらわれる。しなくて良い苦労はしない方が良いと、個人的な体験から結論づけてもいる。しかしもし叶うならば五人でも十人でも産みたいものだと、密かに考えているのだが。

 家と言えば、七代国王の出自のため貴族の勢力図にも変化があった。彼の家は貴族ではないが商家であり、一部の貴族と商売上の繋がりがあったからだ。現王は情に流されたり義理で目が曇ったりするような器ではないと思うが、奇妙な縁だと思う。しがらみのない私からすれば、感じたことのない不安ではある。

 私は戴冠した折、玉座を継いで爵位なしというのも不格好だと、名ばかりの公爵を名乗ることにした。そして、わざわざ爵位を付けたのだからと、結婚するときもそれを本家とした。夫の本家であったヨアマキスは副家名となった。
 私の本家名を結婚後も同じくする理由を、当時はそのように考えていた。だがこれらの理屈は私自身がひねり出したものだ。今振り返ってみれば、やはり私は母へのこだわりがあったのだろう。最後までこの家名を持っていたい、自分でも割り切れぬ、愛着とも執着ともつかない情があったと見える。
 夫の方は家名にはまったく頓着しない人だったので、こちらの提案に一も二もなく、良いのではないか、とただ頷いていた。ヨアマキスからなんらかの要求があったはずだが、夫はそれをおくびにも出さなかった。ヨアマキスは元々夫の父、私の舅に当たる人の本家である。夫は父親だけではなくヨアマキスの家とも反りが合わず疎遠だった。王配となった後も特別の配慮もなく、それ以前に関心を払うこともなかったように思う。望むならランテを本家とすることもできたはずだが、夫がそれをどう考えているのか聞いたことはない。聞かずともわかることもこの世にはまれにある。

 ランテの方君はどうやらこのまま独り身を貫くつもりのようだ。以前の件でかの家はいまや見る影もない。ほとんど解体されたようなものだが、それでも三人もの寵愛者を輩出した血の求心力は猛烈らしい。私や夫のもとに彼を説得するよう遠回しに、あるいは直接に執拗な要請が再三来ている。
 しかし他ならぬ私にそのような要求をするとは、お門違いも良いところだ。子供たちに累が及ばぬよう配慮はするが、それ以上はご免こうむる。私が王を退いても彼は領主として長くいる。そうすることを自分で選んだのだから。
 説得なり脅しなり泣き落としなり、せいぜい頑張って貰いたい。

 私の在位が残り一年となったとき、私の緊張とある種の高揚は最高潮に達した。その期待と不安は十四の頃から持っていたものだ。いや私が神の寵愛者ならば、二代続けてそのような変則はないとも信じていたのだが。
 もったいぶるのはよそう。私は「二人目の寵愛者」がもう一度現れるのではないかと考えていた。結果は否であった。私は誰を王とするのか、神のご意志はどこにあるのかといった難題を抱え込まずにすんだ。
 おそらく誰もがほっとしたことだろう。やはり六代国王は正しき者で、七代国王もまた正しき者だと。それを疑わずとも良いのだと。そして誰もが思っていることだろう、王城で顔を見る者だけが地上の民ではないと。
 私や七代国王、あるいはこれから玉座に着くすべての王には同じ疑惑がついて回る。それは今までの国王にはなかった試練だ。
 そしてその疑惑はある程度正しいのだ。わたしたちは一つしか無い玉座を賭けて戦い、勝ち、あるいは敗北した。
 世に出られなかったすべての神の子供たちのために祈りを。

 この国の成立以来、譲位は常に波乱に満ちていた。私が冠を授かったときは言うに及ばす、七代国王の戴冠に際しても、嵐が吹き倒した。
 譲位の際のごたごたとはつまり、ある人が王にならんとするそのとき、誰かがそれに反対することに因を成す。それは時に本人であり、別の勢力であり、前王であった。
 七代国王の戴冠に異を唱える者について、私がここで語ることはない。その者は前王ではない、ということだけは言っておくべきか。私は彼を王にすべく骨を折った。
 もし彼が王にならなければ私が続けることになったのだろうが、そのことはまあどちらでも良かった。どうしても私に続けて欲しいというのならば、それほど困ることもない。それでも私はあの少年が王となった姿を見たいと思った。
 特段利害のない他者のために、人の話を聞き仲を取り持ち説得し、心の安定をはかるというのは初めての経験だった。年末までにはなんとか調整も済み、彼は無事戴冠したのだが、何か奇妙な体験だった。候補者の一家だけではなく、貴族らみなを家族のように感じたのだ。これらについては、私が生きている間に七代国王が自ら記してくれることを期待している。

 筆の向くままに半生を振り返ってきたが、思いのほか母の話が多くなった。
 やはり彼女のことは私にとって切実なことだったのだろう。私は母があのような人生を歩んだことに何らかの救いを求めていた。そしておそらくは、母の意向とは別の生き方を選択した私にも。
 母は私が王として立つことを望んでいなかった。今となっては彼女の本心を知ることは出来ないが、それだけは間違いないだろう。額を隠しておけとはそういう意味だ。重責と孤独に耐え、大いなる仕事を成し遂げる人間になるよりも、ささやかな幸福を繰り返して日々を生きて欲しかった。
 だからこそ私は王になったのだと今なら思う。彼女が死んだからこそ。
 片田舎で農民としてひっそり暮らして欲しいと願っていた母、その夢から覚めることなく、あるいは叶うところを見ずに死んでしまった彼女への弔いのために、私は玉座を望んだ。
 他に報いる道があろうか。ひとつの夢が潰えたとき、別の形でその夢を実現させようと私はしていたのだ。
 彼女が物故し印の存在が世に出たとなれば、彼女が望んだような平穏な生活はもう望むべくもない。否も応もなく私はこの国の中心たらなければならない。私たちは夢から覚めたのだ。

 人に利用されることは良いだろう。私も多くの人間を利用した。しかし一方的に搾取されることは我慢ならない。私はかつてそのような支配から立ち上がった、印持つ者のご意志を継ぐ者だからだ。国家とは政治的運命共同体である。私は王となり国となり、私の運命に彼らを付き合わせることで平穏な人生を取り戻した。
 私は母の願いを叶えた。それは母の望む形とは幾分違ったかもしれない。しかれどその差異は、母が考えた私と現実の私自身とに生じる隔たりそのものだ。それくらいは目をつぶってくれるだろう。
 私は王としての務めを果たした。今は王も退きまた私人に戻った。城から遠く離れた土地で、家族と慎ましく暮らしている。目に入るのは遠い山なみの稜線、名も知らぬ人々、風に揺れる麦穂。ここが私の最終目的地だ。そして今ここに立ち思う。この国の形そのものが、私が母に捧げられる愛の形のすべてなのだと。