✥  三人目の寵愛者

友情Bルート終盤。親友の二人。

王子祭提出作品、改稿なし。初出:2012.11.02




「退屈だなあ……」
「……貴様、人の部屋に押しかけておいて言うことがそれか」
 寝椅子に横たわり脚を伸ばしてレハトは眠たげに呟き、友人の言葉に伏せた頭を反対に向けた。
「お前一体何をしに来た。わざわざ人の部屋に居座って寝腐るのが趣味か。用がないのならさっさと帰れ」
 広げた本に片手を乗せて半身をねじり、タナッセは仄暗い室内に目をやった。
 夜明け前から降り出した雨は勢いを増し、風に煽られ踊りながら地面を叩いている。石造りの堅牢な王城にあって、きっちりと木窓を閉じると室内は昼か夜かも分からない、薄布を重ねたような曖昧な陰りに包まれた。
「タナッセ、何してるの? 本読んでるの?」
 レハトはぱっと体を起こして、一度頭を振った。立ち上がって、また座る。
 部屋の片隅で主人に存在を忘れかけられていた寝椅子は近頃、ときおり訪れるようになった闖入者に自分の物と定められたようだった。当人曰く、脚の付け根にリスのような飾り彫りがあって可愛い、というものだったが覗き込んだタナッセには伝統的な図案にしか思えず、まったく意味が分からなかった。
「見ての通りだ」
 多動癖でもあるのか、レハトは一つ所に留まっていても体を前後に揺らしたりその場で一回転したりと、落ち着きが無い。動く度、額に頂くほの明るい輝きがちらちらと舞い、知らない記号のような軌道を空中に描いている。
 応接間と比較すると鉛筆画のように簡素な私室に、レハトだけが騒々しい色鮮やかさでその存在を主張していた。
「贅沢だなあ、こんなにろうそく使って。雨だからって一日中明かり使う気なの?」
「明かりが無ければ文字が読めないだろうが」
 本に視線を戻したタナッセがにべもなくはねつけると、後ろでカチリと掛け金を上げる音がした。
 ろうそくの熱が篭もった室内に、ひゅうと音を立てて開いた窓から雨風が吹き込み、レハトの前髪を気前よく逆立てた。招き入れた水滴に目を細め、不規則な雨音に耳をそばだてレハトは大きく伸びをした。
「良い天気だね。拍手喝采だ」
「何?」
 水で冷やされた外気が、土埃と草木の青い臭いを連れて表皮を撫でる。襟足をくすぐる風を払うようにうなじを手のひらでこすって、タナッセは声の主を見た。
 雨の日は書き物がしづらく、舞踏会の喧噪を背中で聞いているような絶え間ない雑音に、何かを急かされているような心地がしてタナッセは好きになれなかった。
 一心に窓の外を見つめていたレハトは、顔を半分戻して言った。
「雨の音だよ、よく言うでしょ。拍手の音だって」
「まったくおめでたいな、お前の頭は。雨音が拍手の音だと? そんな使い古された慣用句を、恥ずかしげもなく口にするとは」
 レハトの背後、窓の外は灰に沈んでいる。煙る湖の向こうの街並みは、おとぎの国のような遠さでかすんでいる。それを背景に気負いなく立つ寵愛者の姿は、幻想的な絵画のようにしっくりと馴染んでいた。
 絵の中の人に触れられないように、目の前に在りながら彼方の存在のようだと、タナッセはちらりと考えた。
「じゃあ何て表現するのさ、流行の詩人は」
「お前に高度な修飾技術を駆使してやったところで理解できまい。さっさと閉めろ、濡れるだろう」
 レハトは言われた通り窓を閉めながらも、どうやら本格的にタナッセで暇つぶししようと決めたらしく評判の詩人なんだろう、それらしく気の利いた文句の一つも言えないのかと、しばらくぶつぶつ言っていた。心中はどうあれ、タナッセはこたえた様子もなく聞き流して、気位の高いところを見せた。
 巣箱を見つけられない蜜蜂のようにふらふらと部屋の中をさ迷っていたレハトは、同じようにふらふらとタナッセの背後にまで近寄って来た。あしらわれたのが面白くなかったらしく、親切そうな表情で首を傾けている。
「ねえ、僕が朗読してあげようか?」
「いらん」
「この前は読めって言ったくせに、わがままだな」
 簡素な椅子――とはいえ精緻な透かし彫りが施された、王城に据えられるに相応しい品だったが――の後ろでレハトは渋面を作った。
「いつの話だ、お前も執念深いな。その記憶力を他に役立てたらどうだ」
 とりつく島もない態度にも構わず、タナッセの肩越しに広げた本を覗き込んでレハトは続けた。
「あ、僕もそれ読んだよ。超絶つまんないの、笑っちゃった」
「それはお前の頭が空だからだ。名酒も杯がなければ地面の染みにしかならぬ、という格言を知らんのか」
 タナッセの両肩に手を乗せ側頭部に思い切りよく同じものをぶつけて、レハトは自分の言葉を何一つ疑ってはいない口調で言い切った。
「またまたー。タナッセも本当はつまらないと思ってるでしょ」
「寄りかかるな!」
 とうとう読書を諦めたタナッセが身を震わせ椅子の上で座り直すと、レハトは勢い込んで乗り出した。
「あっ、タナッセ、ちょっとだけなら髪の毛撫でてもいいよ」
「なんだそれは。誰がそんなことをしたいと言った。貴様の獣頭に用なぞない」
「じゃあ、撫でてあげようか?」
「いらんわ! なんなんだお前はさっきから。何がしたい」
 呆れかえった口ぶりに、レハトはふと差し迫った表情を閃かせたが一瞬のことだった。すぐさま変に鷹揚な物腰を取り戻し、無邪気さを一杯にたたえた声を出す。
「そうだなあ、今日は誰かに必要とされたい気分ていうのかな。感謝されたいと思って。あるでしょ、そういうことも」
「ない」
「わあ、ノリわるい。そういうとこだな、タナッセは」
「うるさい。私は忙しい。その辺にいるくらいなら許してやらんでもないが――」
「タナッセはー」
「やかましい! 人の邪魔ばかりするなら余所に行け、うっとうしい」
 レハトは小さく手を上げ、困ったものだと言いたげになだめるような声を出した。
「分かった、もうしない。だからタナッセも客人を蔑ろにしたことを反省して、ちゃんともてなせ。タナッセと喋りに来たんだから」
 その命令口調は何だとか、誰が客人だとか、茶菓子まで出してやったのに蔑ろとは何だとか、長々と居座るのは礼儀に反するとか、思いついた反論が多すぎたためにタナッセは黙った。
 この闖入者はいまや王城だけではなく、己の人生にもこの突撃的な性格でもって飛び込んで来たのだと改めて思い知らされた。そしてひっきょう、扉を開けたのは自分であることに間違いはない。
 継承者と呼ばれている子どもは今まさに部屋に通されたばかりだとでもいうような身のこなしで、空いた椅子に深々と腰掛け冷めきったお茶を一口飲んだ。向こうが透けて見えそうな薄い白磁をうやうやしく卓に戻し、レハトは落ち着き払った声を出した。
「雨の日っていつも本を読んでるの? 他には何をしてるの?」
 そのあまりな切り替えの早さにタナッセは半ば敬服していた。貴族連中が舌を使い分けるような腹芸とも違う、偽りのない割り切り方は自分には出来ない芸当だ。
「別に普段と変わりはしないが……。そうだな、たいてい読書にあてているな」
「ふうん」
 なるほど、と真面目に言ってレハトが二度三度頷くと、妙な沈黙が落ちた。一呼吸おいて大きく息を吸い込むと、レハトは子どもの喉で出せる精一杯の低音で脅しつけた。
「おい、訊かれたら訊き返せよ、礼儀だろ」
「興味が持てないのだが」
「訊けよ!」
 にべもない返答にレハトがわめき声を上げると、タナッセはほとんど呻きながら事務的に問いかけた。
「雨の日は何をしているんだ?」
「もっと興味深く訊けよ!」
「…………貴様、いい加減にせんと本当に叩き出すぞ」
「うそうそごめんごめん、邪魔しないからさ、ちょっとここに居させてよ。ついでにそこの爪ヤスリ貸して」
 一転、耳元まで微笑んでレハトは手を突きだし、悪びれたそぶりもなく要求した。
「……居るだけで邪魔だ。せめて静かにしていろ」
 面倒になってそれだけ言って、タナッセは指さされたヤスリを投げて渡した。
「今ね、変なのに絡まれてるんだ。タナッセも会ったでしょ、舞踏会で」
 爪を研ぎながらレハトは舞踏会で顔を合わせた貴族のことを話した。特段考えもなく機嫌を取ったところ、思った以上の効果を発揮し、部屋に押し掛けられたり待ち伏せされたりと、いくらか辟易していると話した。
「あれほど愛想よく振る舞えばそういった成り行きもありえることくらい、想像つくだろうに。そもそもお前、あんな輩に媚びへつらって矜持というものはないのか」
「タナッセこそ、あんなのにいちいち振り回されて疲れないの? 僕は笑顔くらい、いくらでも差し上げてかまわないよ」
 こだわり無く言い切るその尊大さは環境によって培われたものではないだろう。つまりは神の恩寵か、城で世慣れたかのか、あるいは単に性格に問題があるか。眉間の皺を深めながらタナッセはあご先を上げて鼻を鳴らした。
「はっ。あの口さがない連中が引き幕の裏に回れば、どれほど貴様を扱き下ろし、どんな下劣な噂をばらまいているか知らない訳ではあるまい。それを仮にも候補者があのようにへらへらと下手に出るなど、みっともない。白痴でもあるまいし」
「心配いらないよ、悪口だって一種のお世辞なんだから」
 容赦なく甘皮を押して爪の面積を押し広げながら、レハトは簡単に片付けた。貴族たちの中傷にも、タナッセの小言にも感銘を受けた様子はなかった。
「貴様の心配なんぞしとらん」
 友人として気に病んでいないことを歓迎すべきなのかもしれないが、何か苦いものを覚えて、タナッセはそれだけ言った。なぜこいつは、こうも違うのだろう。
「なんだ、僕の将来を憂えて忠告してくれたんじゃないの」
 白く粉を吹いた指先を丁寧に拭って、なめらかな爪をしみじみ見つめレハトはふと思いついたように話し出した。
「爪を切るなんて、田舎では恥ずかしいことなんだよ」
「切らずにどうする。伸びるに任せるのか」
「まさか。切る間もなく削れて、短い爪を保つのが正しい農民なんだよ。爪を切るなんて怠け者の証だってこと。まあ……そうは言ってもこっそり切ってる人も、結構いたろうけど。みんな、見栄っ張りの意地っ張りだから」
 何かを思い出したのか、レハトは最後に顔を上げてタナッセと視線を合わせると、くふ、とくすぐられたような笑みをあふれさせた。からかい混じりの吐息はけして嫌味たらしいものではなく、そんな村人たちを愛しく思い、懐かしんでいるようだった。
「……ふん。いつまでも昔の暮らしのことなど引きずっていないで、ここでの暮らしに慣れろ。お前はなんの間違いか、その印を授かったのだから。それだけはこの先、何があっても覆せない」
 村のことなどさっさと忘れてしまえばいいのに、とタナッセはいっそう腹ただしく立ち上がり、ひったくるように受け取ったヤスリを元の場所に戻した。
 レハトが故郷の話を口にするたび、理由のはっきりしない苛立ちが湧きあがるのをタナッセはいつからか感じていた。自分では継承者がいまだに立場を理解せず、田舎暮らしを称賛するような態度に憤りを覚えているのだと考えていたが、それだけではないことに意識の裏では薄々気づいていた。
「ええと、雨の日にすることの話だっけ。雨の日はまあ、家の中で仕事してるのが多いんだけどさ。しりとりとかやったなあ、何かしながら出来るし。知ってる? しりとり。やろうか」
「子どもの遊びだろう。休日にわざわざ差し向かいでするようなことか」
「知らないみたいだから教えてあげるけど、実は僕、子どもなんだ」
「あと一月たらずだがな。この大事な時期にそんなくだらんことをしていないで、もう少し有意義に時間を使ったらどうだ」
「しりとりの、り!」
 睨みつけられても意に介さず、片耳に手を当てタナッセからだよ、とレハトは当然のように促した。
 タナッセは向けられる白いカップの持ち手のような曲線をしばらく睨みつけていたが、一つため息をついて渋々答えた。今日はどこまでも奴に付き合わねばならないらしい。
「…………。リタント」
「とうへんぼく」
「栗」
「吝嗇」
 投げやりな返しにも、レハトは間髪入れずにこやかに返事をした。タナッセは何か引っかかるものを感じ、ひとつ考えて言葉を選んだ。
「……空疎」
「尊大!」
「田舎者」
「のろま~」
「ままごと遊び」
「び? び……美辞麗句?」
「狗尾続貂」
「うー……う……うすのろ」
「――籠鳥檻猿。私の負けだ、よかったな」
 自分から終わらせればいいだけだと気づいたタナッセは、思いついた言葉を心持ちためらいながら口にして、不毛なやり取りに終止符を打った。
「なんだよ、もっとやろうよ。僕の勉強にもなるだろ」
「何を堂々と貴様……なぜ私がお前の勉強につき合わねばならない」
 レハトがしかめ面を見せつけながら不満をぶつけると、タナッセも言葉ほどは気分を害した風もなく手をひらひらと動かした。
「ろうちょうかんえんって何?」
「人に聞いただけで身に付くとでも思っているのか。自分の手で辞書を繰って調べろ。そうして始めてものになる。ほら、親切に指導してやったのだ、感謝するがいい」
 ふん、とタナッセがいつもの仕草を見せれば、そういうものかな、と呟いてレハトは椅子の背に体を預けた。途端に雨音が室内に戻り、二人はしばらくそれぞれのざわめきを聞いていた。
 蜜ろうの甘い香りが漂う室内は薄暗い。タナッセはその空中に選定印がぽかりと浮いている様を、滑稽だと感じていいものか迷っていた。
 物心ついた頃から、神の寵愛の証しであり、神的な、敬意を払うものだと教えられ自身もそれを疑っていなかった。たとえその徴を授けられた者が神の性質について疑問を抱かずにはいられない命運に見舞われようとも、その神性については確かに信じていたし、畏敬をもって見上げてきたはずだった。
 それが今目の前にいる子ども、彼にはいくらか大きい椅子にすっぽり収まってあらぬ方を見上げ、脚をぶらつかせている子どもの額にあるとどうにも冗談のようにしか思えなかった。
 ぼんやりとした薄緑が宙にあるのは、見れば見るほど奇異な光景で、笑いを誘うように思えた。そんな発想はまったく不敬であるし、不作法極まりないと考えるほどおかしさが込み上げてくる。
「……? 何?」
「……いや」
 手で顔を覆い隠し、いくらかうつむいた姿は見ようによっては酷く苦悩しているようにも見えた。ある意味では、その通りであったかもしれない。
「閉めきっているからな……空気が悪い」
 タナッセは何度か咳払いをして立ち上がり、窓を開けた。不審げなレハトに背を向け濡れた空気を吸い込むと、どうしてあんなに面白がったのか、そのことの方が不思議に思えてきた。
「あ! ねえタナッセ、これって、お師匠さんの添削?」
 振り向けばレハトは少しよれた紙束を手にして、あからさまに期待のこもった瞳をしていた。
「そうだが……お前、勝手にあさるな」
「ちょっと見せてよ、添削って、どうするのか見たい」
「…………。まあ、かまわんが」
 見られて困るものでもないし、とタナッセは少しだけ考えて了承した。先ほど笑ってしまったことで、負い目を感じていたからではないと思う。
「こっちは? なんか可愛いの」
 分厚い添削の束から、華やかな色合いの封筒が滑り落ちてきた。添削の束には及ばないが、手紙としては厚みがあった。
「ああ、それは違う、一緒に送られて……いや、読まない方がいいと思うぞ」
 裏書きに目を走らせたレハトにタナッセは声を掛けるが、彼は構わず封蝋を剥がし中を覗き込んだ。封筒と同じく愛らしい色の便せんを開き、一緒に出てきた押し花を指先でつまんで、レハトは顔を上げた。
「恋文にしては、文章量が多い気がするけど」
「……ディレマトイの読者、それも……熱狂的な読者からだそうだ。ヤニエ伯爵なら話題の詩人と面識があるのではないか、知らなくとも自分よりは会える可能性も高いだろうからいつになってもいいので渡してくれ、と押しつけられたそうで……」
「この道徳的退廃、安易な追従と軽薄な傲慢さではちきれそうな全人類的苦難の状況にあって、深い知性に裏打ちされた純粋さを保ち続けるあなた様の、たぐいまれな霊感によって導かれるイデアの姿をただ仰ぎ見――」
「……別に朗読してくれなくともいいぞ」
「――寛大な洞察者たるあなた様が、わたくしの心の内を汲み、その情け深い精神によって一片の憐れみを授けてくださること、この深い苦悩からわたくしをお救いくださることを疑いなく信じております――この人なに言ってるの?」
 レハトが目を紙面に釘付けながらきつく眉根を寄せて呟くと、タナッセは決まり悪げに視線を外し鼻の脇をこすった。
「たぶん、返事をくれと」
「全人類的苦難って何のこと?」
「知るか。……言っただろう、熱狂的だと」
「ひゃー……」手紙から顔を上げて、レハトはタナッセの顔をじっと見た。「どん引きだ」
 私かお前かと訊くまでもなく分かっていたタナッセは明言を避けた。
「なんだか愛読者っていうより……あ、タナッセ、もしかして身の危険とか感じてる? 拉致監禁されて死ぬまで詩を書かされるとか思ってる? 両足切断されて寝台に縛り付けられたりとか」
 ろうそくの炎にきらきらと瞳を煌めかせて、レハトはどこかで聞いたような話を妙にうきうきと語った。
「そんなことは考えとらん。馬鹿馬鹿しい。ただヤニエ師が感想を聞かせろと言っているのが、いまいち意図が読めず……面白がっているのは間違いないのだが」
 ものの見方は心の形を反映し、時に自分が知らなかった自分を突きつける。恐らくは自分の反応を見たいだけなのだろうと見当をつけていたが、自分には思いもよらない視点で切り込んでくる師の慧眼を尊敬しつつ、それが己に向けられるのをタナッセは恐れてもいた。
「でもそんな心配しなくてもいいと思うな。僕の経験から言うと、いきなり好き好き大好きって熱烈に言ってくる人は冷めるのも早いから」
 両手で持ち上げたカップのふちを親指でさすりながら、レハトは考え考え口にした。
「心配していないといっただろう、おかしな本の読み過ぎだ。……ところでお前、そんな経験があるのか」
「タナッセ、あれでしょ? 僕が今まで十四年間何もしないで村でぼんやりしてたと思ってるんでしょ?」
「そこまでは思っとらん、だがまあどうせ似たようなものだろう。お前は城に来たばかりの頃は文字も読めず、食事の作法も粗野で……いやそんな話はどうでもいい。ただ、お前はまだ子どもだろう。そんな、言い寄られた経験があるのか」
 面白くもなさそうに首を回しながら、レハトは卓に置いた便せんをぱらぱらとめくった。
「そんなに珍しいことでもないと思うけど。子どものうちに唾つけとこうって人もいるし」
「下品な口の利き方をするな」
 ほとんど反射的に注意しながら、あるのか、とタナッセは内心で反芻していた。
「ちょっとタナッセ……。そりゃあね、高貴な方々のされることは上手くはできませんけど、だからって僕はなんにも出来ない訳じゃないからね、いっときますけど。僕は麦の作付けからパンを焼き上げるまで一人……は無理だけど大体出来るし、兎鹿の毛を刈って紡いで編み物だって出来るし、蜜蜂の飼育からろうそくだって作れるし、実用面でならタナッセよりずっと役に立つからね」
 取り得の無い役立たずと思われたことが心外だったのか、そこの所ばかりをレハトは言い立てた。
「……別に、お前が穀潰しだとか、そんなことを言っている訳ではない。というか、そんなことは今さら継承者に必要なことではないだろう」
「つまりタナッセの実用は詩作ってことか。ふーん。まあいいけど。……にしてもさ、この人、タナッセのこと大好きなんだね」
「それはまた違うと思うが……」
「でもこの人より僕の方が、タナッセのこと好きだと思うな」
 眺めていた便せんを折りたたみ、封筒にしまいながらレハトは挨拶のような気楽さでぽそりと零した。
「――下手な世辞だ。お前の村ではそういった率直な物言いが歓迎されたかもしれんが、ここでは違うぞ。何事もさりげなく、匂わす程度でいい。あるいはどうとでも取れるような物言いを覚えろ。そのようなあけすけな口を利いては、いつ足下をすくわれるか分かったものではないぞ」
 押し黙ってタナッセの話を聞いていたレハトは、急に我慢ならなくなったように断罪の叫びを上げた。
「……人の手紙を回し読みするのって、趣味悪いと思う!」
「突然何だ、お前が勝手に開けたのだろう。ヤニエ師自身は了承を得ているぞ」
「なんだかんだ言って嬉しいんだ」
「身の丈にあわぬ名声など困ると、言わなかったか。まともな評価がなされているとも思えん」
「まあ、そういうことにしといてやろう」
 タナッセの真似をするようにふんと鼻から息を吐くと、レハトは尖らせた唇や眉間の皺をぬぐい去って前置きなく笑顔になった。
 くるくると変わる表情の上で、印は素知らぬ風に鎮座している。タナッセが知る誰とも似ていない友人の額にある、その特別な淡い光は目に優しく、うっすらと周囲を照らしていた。
「これ、返事出すの?」
「出す訳なかろう。ヤニエ伯爵に託した手紙に返事があった、などと話が広まれば師に迷惑がかかる」
「それもそうか。タナッセは幸せ者だね、こんなお師匠様がいて」
 朱の入った分厚い添削の束をめくりながら、レハトはしみじみと言った。
「そうだな」
 タナッセもその点に関しては、まったく同意見だった。色々と困った人ではあるが、詩作に関してこれほど偽りのない指導を望める人物はそういない。そのような高名な人の指導を仰げるのは僥倖といってよかった。
「でもね、こんなふうに助けてくれる人がいる幸運も、突き詰めればタナッセが自分の力で得たものなんだよ」
 真摯といってもいい生真面目な眼差しに微かな笑みを差して、レハトは請け合った。
「いきなりどうした、お前」
 唐突に聞かされた歯の浮くような賛美に驚いていると、レハトは変わらない穏やかな表情のまま注文した。
「お菓子のおかわりもらっていい?」
「気の済むまで食べて帰るがいい」
 タナッセも同じくらい平静に返答すると、レハトは嬉々として侍従を呼びつけた。
 自分は育ち盛りだと強く主張するレハトは、それからお茶のおかわりを二回してからやっと腰を上げた。
「ね、タナッセ……」
 扉の前で立ち止まったレハトはタナッセの腕にそっと手を下ろし、沈痛な面持ちでひっそりと囁いた。
「帰りたくないって言ったら、困る?」
「帰れ!」
 今度こそは耐えかねたタナッセが怒鳴りつけると、レハトは盛大に吹き出し、身を翻して踊るような足取りで駆け出して行った。