✥  臆病者達の恋[3]

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 鹿車の群れは西へ進む。城を離れランテの地へと、かつての王の亡骸の元へと、彼女の息子と王を乗せて。
 ランテ領はリタントの西端に広がり、リリアノが隠棲した館は海沿いにある。道は舗装され道中には貴族の館が点在し、王の旅程にふさわしく不自由はない。
 レハトにとっては人生二度目の遠出となる。それは彼女にかつて辿った南からの道程を思い出させた。何も知らず何も持たずその身と心ひとつで鹿車に押し込まれ城を目指したあのときと違い、今では職を得、性を得、多くを知り多くのものを持って揺られている。
 あのときの自分と何が違うのか、自分ではわからなかった。決定的に違ってしまっていることはよくわかっても、決して戻れぬ道を進んでいることはわかっても、何故自分がこの道を行くことになったのかは判然としなかった。
 自分で選んだ結果だろう。そう胸の中で答えても気は晴れない。この空しさはいつまで続くのだろう。

 打ち合わせやら何やらでタナッセはヴァイルの鹿車に何度か招かれ、あれやこれやを話し合った。葬儀のこと、領地のこと、引き継ぎのこと。ほとんどは実務的なことを淡々と話し合うだけだが、空気は悪くなかった。食事をともにするようなことはまずなかったが、王となってからのヴァイルの方が話しやすく会話も弾むのがタナッセには皮肉だった。


 途中滞在したその町はそれなりに栄え、人々が行き交う広場には屋台がいくつか出、傍らには芸人が妙技を披露していた。王の逗留ということで警備上それらは片付けられるはずだったのだが、他ならぬ王がそのままにすることを特に命じた。
 そのために侍従や護衛達がどれ程の時間と手間を割いたかと、王に訴えるのはやぶさかではなかったが、彼の心中を慮り皆粛々と命に従った。
 ヴァイルは自らの楽しみのために命じたのではもちろんなかった。レハトを少しでも笑顔にしたくて、彼の人生に突如現れた大切な親友に華やいだ町を見せたかったのだ。そのことを王の側付きの者達はよく知っていた。

「頭に布巻いてぼろい服着たら、意外とばれないんじゃない?」
「絶対に無理です。一発でばれます。第一そんなことは我々が許しません」
「この身に代えてもお止めしますから」
「身に代えてもかあ……」
 侍従達のあまりの剣幕にひるみ、ヴァイルは窓の布を引いて身を離した。滞在している館の窓から見える広場の喧噪に惹かれ、子ども時代を思い出して口にしてみただけなのだが。もとよりそれが本当に許されるとは思っていない。それでもちょっと窘められるくらいだろうと思っていただけに、まだまだ子ども時代の印象は抜けていないのだと妙に感傷的になる。旅の目的を考えればもっと感傷的でもいいはずだったが。
 ヴァイルにとって伯母は、歳の離れた戦友のようなものだった。同じ運命を背負い、自分も同じ道を辿るであろう先人。彼からすれば伯母の気持ちはいつもよくわかったし、その姿勢や態度にも深く共感するものがあった。だからだろうか、ヴァイルはリリアノの死を悼みはしても泣きはしなかった。ただ安らかであれと、いつか自分も行くのだから少しだけ待っていてくれと、いっそ穏やかな気持ちで受け入れた。
――俺もあと二十年もしたら会えるからさ。
 そのとき広場に出てくる人影があった。見慣れた淡い空色の髪と、隣にはひとまわり小さく華奢な女性。また痩せたのかもしれない。彼らの後ろには巨躯の衛士がいつも通り付き従っている。
「……出発は明朝とする。それまで皆、休むがいい。私はつまらぬ書類仕事でも片付けるとしよう」
 六代国王が苦笑とともに告げ、侍従達の間に安堵の気配が流れる。彼は一度決めたことを違えたりしない。仕事を片付けると王がいったならば、そうなるのだ。
 ヴァイルはもう一度二人の後ろ姿を見やり、それから二人のことも、あるのかもわからぬ神の国のことも頭の片隅に追いやって書類へと意識を切り替えた。


「こう人出のあるところはよからぬ輩も混じっている。大体このような時期にわざわざそぞろ歩くなど……」
「ぐちぐちうるさいなあ、ヴァイルの監査が信用できないの? 今日は色々忘れて市を楽しんでこいってお達しでしょう。喪に服していても市で買い物くらい許されるよ。あっあれ食べたい、タナッセ半分こしようよ、それで向こうの屋台も見に行こう」
「ああもう……」
 子どものようにはしゃぐレハトを抑えようとして、タナッセはその横顔に見入る。いつ以来だろうか、ごく自然にレハトが笑っている。レハトの笑顔はいつも彼の心を和ませた。
「タナッセ、ほら!」
 レハトが振り返って髪が揺れ、光がこぼれる。タナッセは苦笑して、半分にちぎられた包み焼きを受け取った。


 広場の片隅、中心の喧噪から少し離れたところで壮年の男が一人、楽器を爪弾いていた。囁くような歌声は太鼓腹に太い腕の外見に似合わず繊細で、レハトは足を止めて聞き入った。
 一曲終わったあとで開いた楽器ケースに心付けを投げると、吟遊詩人の男はふと顔を上げた。
「ややや、寵愛者様ではありませんか。はっはあ、お噂には聞いてましたが、これは大変なお美しさですなあ、やはり神とはいえアネキウスも面食いなんでしょうな。私などほれこの通り、醜男の上髪にも不自由しておりまして」
 喋りながら男は帽子をするんと滑らせ、いっそ見事な禿頭を披露し手のひらでぴしゃりと音を立てた。甘い歌声と話の落差に言葉に詰まるレハトに、男は磊落な笑いを響かせる。
「はっはっは、そう驚かないでくだされ、いつもはもっとうけるんですがね。お相手が悪かったかな」
「いいえ、ごめんなさい、びっくりしてしまって。とても素敵な歌でした」
「いやいやありがたき幸せ。ううん、寵愛者様はなにか心に重しがあるようですな」
「え」
 突然心を見透かすようなことを言い出す男にレハトは戸惑う。
「貴様、失敬だぞ」
「私、悩んでいるみたいに見えるかしら」
 不快さもあらわにタナッセが口を挟み、レハトはそっと彼の腕に触れて押しとどめる。
「寵愛者様といえど人には違いありますまい。人は常に悩み迷うのです。さてしかし、人の悩みは四つしかありません。すなわち金、職、体、他人。これです。職で悩むというのはわからないかもしれませんが、世には親の職を継ぐのを苦としたりする者もいるのです。寵愛者様とはまあ、無関係でしょうな? もちろん金の悩みもないでしょう。……ない、でしょうな?」
 片眉を大げさにつり上げ、目をぎょろりとひんむいて男がレハトを覗き込む。額によった皺は盛りあがり頭頂まで届きそうだ。
「ええ、ないわ」
 朗らかに笑ってレハトが答える。
「おおこれは安心いたしました。寵愛者様が金の苦労を感ずるなど、国庫が空になってもおっつかないでしょうしな。そしてその薔薇色の頬を見ればお体の不安があるとも思えません。ではそう、答えは一つ。ずばり、恋のお悩みでしょう。」
 レハトは笑って答えない。
「まったく、寵愛者様のように可憐な乙女を苦しめる幸運な愚か者はどこのぼんくらの子息ですかな? きっと仕様もないひょうろく玉の、知恵遅れのおたんちんでしょう。そんな腑抜けの痴れ者のことなぞとっとと忘れておしまいなさい」
「すごい、色んな言い方があるのね。そういうのは、人に習ったりされるの?」
 男はまた片眉を上げて口を引き結び、無言でレハトを見る。レハトはただ微笑んでいる。と、男は懐からじゃらじゃら音のする巾着を取り出し、そこから親指の爪ほどの石を一つ、取り出した。
「恋が叶うと評判の、霊験あらたかな貴石でございます。……銀一枚で、どうですかな」
 レハトははじけるように笑い、言われた金額に少し色をつけて男に渡した。
「おい、レハト……」
「いいのよ、お話面白かったし。長いこと占有してしまったんだもの、当然だわ」
 タナッセがため息をついてもう行くぞ、と彼女をせかす。
「お連れ様もどうですか、お一つ。夢見が良くなるものとか、ございますよ」
「いらん」
 男はすでに背を向けかけたタナッセにおざなりに声をかけ、タナッセもいい加減に返事をよこす。そのやりとりを微笑んで見ていたレハトが立ち上がりかけたところで、吟遊詩人は彼女を呼び止めた。タナッセは去りかけた足を止めて、油断なく男の動向を見守っている。
「お耳を拝借」ふと真顔になって男は囁く。「見るからに鈍そうですからなあ、押して押して、押し倒すくらいの気概を持って向かわねば」
 屈んで近づけた身をぱっと離して、レハトはまじまじと男の顔を見る。優しげな表情の中に、どこか労るようなものを感じていたたまれなくなる。
「ありがとう、でも、いいのよ。私が欲しいのは諦めがつくような石なの」
 眉を下げ、良く通る声で男は静かに語りかける。
「お節介をいたしました。どうぞ、ご自愛ください。寵愛者様でなくとも、貴女のように若く美しい方が幸福でないのならば、それは世が間違っているというものです。おおっとと、これは浅薄な物乞いの世迷い言ですからな、国王様にはお伝えせずともよろしいです」


 館までの短い道のりを二人並んで歩く。
「悪い品ではなさそうだが、裸石が銀一枚など、ふっかけられたぞ。こんな時期こんな処で揉めるのも外聞が悪いし、致し方ないが……」
「でもこれ綺麗よ。首飾りにでもしてもらおうかな」
「……しかしお前……その……」
「何?」
 手のひらの石を眺めていたレハトが顔を上げ、邪気のない瞳をタナッセに向ける。
「い、いや、いい。なんでもない。お前がいいならいいのだ。衣裳係が後方の鹿車にいたな。預ければ鎖をつけてくれるだろう」
「わかった。ねえ、ヴァイルにお土産買っていこうか。食べ物はやっぱり駄目だよね。んーんんー……何がいいかな……」
 レハトはきょろきょろと見渡しながらあれこれ思案している。タナッセは彼女の視線から解放され、密かに息をついた。叶えたい恋があるのかとは訊けなかった。


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