✥  望んでここにいる

愛情Bエンド後、領地にて




 朝方、まだ空が今日の天気も決めかねている時間にタナッセは目を覚ました。天井をしばらく眺め、なるべく体を動かさずに隣を見る。レハトは眠っていた。穏やかな寝息を確認し、タナッセは今日の面倒を思って小さく息を吐いた。
 先般使いの小僧が手紙を伴って領主館を訪れた。特徴のない、茶会の招待状は滞りなく館の主の元に届けられたが差出人を確認したタナッセはわずかに眉を寄せた。差出人は名のある貴族で、「二人目の寵愛者」が王候補として立ったとき、早い時期から支持を表明していた人物だった。
 その時の苛立ちはまだ鮮やかによみがえる。ランテの系譜からほど遠いとはいえ、名門の貴人であることは間違いない。それが、あのような粗野で未熟な田舎者を王として擁立するなど正気の沙汰ではなかった。目先の利益に眩んで名家の名に泥を塗るような卑しい行為だと、いや所詮その程度の俗人だったのだと、内心切って捨てた。
 それだけならこうまで不快にはならなかっただろう。己の利益のためになりふり構わずあがいて行動する。結構。好きにすれば良い。しかしあろうことかその貴族はタナッセに訓戒を垂れ説得を試みた。王配争いは後退したと仄めかした。寵愛無き王子よ望むものがあるのならばしかるべく希求せよ。
 当然ながらタナッセは峻拒し、辛辣な皮肉の一つ二つを付け加えることも忘れなかった。いまいましく思い口には出さず罵って、しばらくは思い出しては腹を立てた。
 だがその実、その案は借用したのだった。近づくために助力を申し出るというのは手管として凡庸ではあるが、常道だ。考慮に値する。そうしてタナッセは検討の末、詭策を自分のものとしてレハトの前に立った。
 茶会の招待主、申し出を蹴った貴族は軽蔑しつつも疚しさを覚える相手だった。

 軽く飛び跳ねる足音が廊下の角から近づいて来ていた。言うべきことを頭の中でさらい、どう切り出したものかとタナッセは考えていた。もう支度は出来ている。レハトを連れていくつもりはなかった。蟻の巣に入るのに砂糖菓子を剥き出しで持ち込む者はいない。それをどう説明すれば彼女に納得させられるのか思いあぐねていた。
「ねえねえタナッセ……あれ、何してるの? 今日出かける用なんてあった?」
 返答までの一拍の間に、タナッセはなるべく平静でいようと試みた。
「茶会に招待されている。私一人だ」
「えーそうなの? 私も行きたい」
「だめだ」
「なんで? 浮気?」
「馬鹿か」
「浮気だ!」
 タナッセは舌打ちし、招待状を乱暴に引き出してレハトに与えた。
「お二人って、書いてある」
 板紙を両手で支え左右に開き閉じる動作を繰り返しながらレハトはタナッセを上目遣いで見た。意味が分からないというようにわずかに眉根が寄っている。困惑した表情に湧き起こる罪悪感をタナッセは努めて無視した。
「差出人を見ろ。そいつが今さらどのようなつもりで茶会なんぞに呼ぶ理由がある?」
「誰これ? 知らないよ」
「知らない訳があるか馬鹿者。お前が……城にいた頃お前を贔屓にしていただろう」
「ふうーむ?」
「下心があるのが分からんのか」
「下心って、タナッセのことでしょ」
「……どういう意味だ」
 一瞬のうちに気色ばんで、タナッセはレハトを見た。自分に叛意があるとも、選定印を理由に結婚したともほんの僅かでも思われたくはなかった。権力を望んだ事などないと信じられたい、レハトにだけは誤解無く理解されたい。
「殺すからね」
「何……」
 美しく背筋を伸ばし真っ直ぐに立ってレハトは申し渡した。
「もし浮気したら、私、タナッセを殺すよ」
「……ああ、そうか。好きにしろ」
 そんなことか。タナッセは詰めていた息をそろそろと吐き、そのようなことがあるはずはないのにと笑い出しそうになった。
 タナッセが本心から結婚を申し込んだことはレハトもよく承知している。レハトが知っているということも、タナッセは分かっている。それなのに政略婚を欠片でも疑われるのは耐えられず、憤るのは、後ろ暗いからだった。気に病む必要の無いことと一方で考えていても、今となっては触れられたくないことがいくつもあった。
「口だけだと思ってるでしょ。言っとくけど、私はやると言ったらやる女だからね」
「そこは別に疑ってはいない、まあ、お前は本当にやるかもしれんな。後先考えずに行動するのはお前のお得意のようだからな。……しかしそういうときはあなたを殺して私も死ぬ、とかがお決まりではないのか」
「何で私が死ななきゃいけないの! 私は何も悪いことしてないのに!」
「私とてまだ何もしとらんだろうが」
 タナッセが言い終わる前にレハトは声を上げて抗議した。大声に閉口したタナッセが適当にいなすと、レハトはますます不機嫌そうに叫ぶ。
「まだって言った!」
「揚げ足を取るな! 仮定の話で言っているのだろうが、これからするという意味ではない」
「そんな分かりきったこといちいち説明しないでよ、しらけるなあ」
「貴様……」
 うんざりして叱りつけると、レハトは手のひらを返し物わかりの悪い人間を侮蔑するような眼差しでため息をついて見せた。理由はタナッセに推し量ることはできないが、いつになく気分の上下が激しい。
「可愛くないなあ」
「お前だろうが。ふざけるのも大概にしろ」
「だいたいさー、そんなに心配ならタナッセも行かなきゃいいじゃん、なんでタナッセだけ行くの」
「付き合いというものがある」
「それにさー、そんなの気の回しすぎだと思う、年明けからは何か言われた訳じゃないし」
「建前は何であれ、お前を出さないことでこちらの意志を示せる」
「だけどさー、何か言われても、今さらそんな誘いありえないしって普通に断れば良いじゃん」
「直接断る前に断る方法があるなら、それが後々面倒事の可能性を減らせる」
「じゃあ私はずっと家にいるだけ?」
「……お前が来たところで何の役に立つ」
「悪口言った」
「私はもう行くからな。こんなもの、適当に付き合ってさっさと切り上げればそれでいい」
 夜には戻ると言い捨てて、タナッセは足早に玄関を出た。
 鹿車が動きだししばらく走って、タナッセは長く息を吐いた。そうしてやっと振り返り、窓から館の方を見た。背中に嫌な汗を掻いていた。かっとなってああまできつい物言いをしたのは、確かに後ろ暗いところがあるからだった。
 タナッセは自分の本心に怯んでいた。出来る限り見ない振りを、深く考えないようにしてなんとか正当化しようとしてきたことに、レハトの言葉が見事に的中した。
 苦し紛れに口にした役立たずなどという言葉は嘘もいいところだった。候補者時代にはその才能の片鱗をはっきりと見せていた。城に置いて政務の手伝いをさせればいずれ王の片腕として大きく助けることとなったかもしれない。あるいは芸術方面でも経営でもいい、神職でもいい。その多岐にわたる素晴らしい素質が開花し能力を存分に振るうことがあれば多くの人のためとなったろう。
 けれどもタナッセはそれを拒んだ。ただ自分のためだけにそこにいて欲しかった。
 彼女が自分と同じ部屋で静かに読書する姿や隣で穏やかに眠る姿を見ると、とうとう自分のものになったのだと思い、満足と高揚で浮き立った。それはレハトを閉じこめておきたいということに他ならない。自分がその欲望を有していることはタナッセには受け入れがたかった。知り合いのいない土地に移り住み、守ると言いながら厚い壁に阻まれた屋敷に閉じこめている。それを改める気はさらさらない。
 まぎれもなくそれが自分の意志による選択なのだとタナッセは自覚した。


「可愛くないね、本当……」
 車に乗り込み、離れていくタナッセをカーテンの陰に隠れて見送って呟いた。カーテンはタナッセが選んだもので、柔らかな色目に同系色の糸で花綵模様が刺繍してある。艶のある黒檀に落ち着いた深緑の張り地の長椅子も、私が置いた覚えはないからタナッセが選んだ物なんだろう。前からあった物だとしても、引き続き在ることが許されているんだからタナッセが選んだ物だ。この家はタナッセが厳選したものばかりが詰まってる。食べる物も着る物も、家具も人も、侍従はもちろん文官も護衛も園丁も妻も、みんなタナッセが選んだものだ。私はタナッセの夢の一部みたいに暮らしている。
 一人になると急にやることがなくなってしまったので、部屋の真ん中で脚を上げて一回転した。なるべく高く、空中を泳ぐ知らない生き物のことを考えて。タナッセがいたら叱って貰えるのだけど、彼は出かけて行ってしまったのでどれだけ空気を掻き回しても音も風も起こらなかった。タナッセは一人で解決しようとして一人で出かけて行ってしまったので。
「そうしたいなら、そうすればいいじゃん」
 うつくしい部屋の中でひとり呟いて脚をしまった。
 去年もおととしも忙しかった。今までずっと、忙しかった。お城にいた一年ちょっとは勉強で、村にいた十四年足らずは仕事で。仕事っていうのは基本、終わりがない。これが終わったら後はもう何もしなくて良いってことにはならなくて、細かい作業はいくらでも出てくるし、何なら人の手伝いだって私の役目だったりする。やらなきゃいけないことが沢山あってたまには休みたいなあと思っていたはずなのに、今では何かすることはないかとうろうろしてる。おかしなものだった。
 村のことはあんまり思い出したくない。
 貧しくて食べる物がないとか、いじめられていたとか、無視されていたとか、そういう嫌な出来事があったわけじゃない。そういうことじゃない。私なりに母さんを助けて二人でまっとうに生活してて、私は村の中でそれなりに楽しくやっていた。それなのに母さんの事故があってからそれから突然何もかも、文字通り何もかも全てが変わってしまったというそのこと、その理不尽さを思い返すたび息が詰まるような感覚がする。うっすらした怒りのようなものと、悲しさと、やたらな反抗心なんかが絡まりあって不快さが喉元までせり上がってくる。お城で暮らせるんだ、なんて、喜んだことは一度も無い。
 結局はお城を出て、領主の妻となった現在に何の不満もないけれどだからって何もかも許した訳じゃないからねと、誰でもない相手を罵りたくなる。
 つられて、タナッセのことが思い浮かぶ。短い婚約期間を経て恋人と呼べる時間を申しわけ程度に過ごして、気づいたら結婚していた。生きてる人の中では間違いなくいちばん好きな人。
 あれだけ大嫌いだと思ってたのに、いらいらしてうんざりして、ほんとう、何とかへこませてやろうとそればっかり考えていたのにあの最後の瞬間、感情が極点を超えた次の一瞬、空中に放り出されたような浮遊感にうなじの毛が逆立つみたいな感覚がして、その次には全部があるべく所に収まりそれはそれは優雅に着地していた。もうなんともなかった。ちゃんと地面に立っていたし、夢から覚めたみたいに頭もはっきりしていた。けれども世界は何もかも変わっていた。ヘウレーカ!
 あれはけっこう劇的な体験だった、それなりに面白かった。でももう十分だ。信じてた世界がひっくり返るのも、生活が一変するのも。こんなことが何度もあったら私は頭がおかしくなってしまう。
 きっともうそんなことはないだろう、とは思う。きっとここが私の最後の家で、万一タナッセと離婚しても、タナッセが領地経営に大失敗しても、リリアノ――私にとっては義母というより国王陛下だ――が考えてたみたいに選定印が王の証じゃなくなっても、積雪地帯とか魔の草原とかに追放されたり投獄されたり前みたいに田畑を耕して暮らしたり、そんなことにはならないと思う。タナッセのことをもう一度嫌いになることもないと思う。
 それでも私はどこか不安があって、もしかしたらまたあんな事が起きるんじゃないか、自分が想像もしなかったところから足をすくわれて、何もかも変わってしまうんじゃないかと、ときどき怖くなる。単に、大人になったから守りに入っただけなのかもしれない。
 早く帰ってきて。
 気づいたらほとんど祈るように考えていた。タナッセがそばにいてくれたら、こんなこと考えずにすむ。タナッセと一緒にいると、なぜかすごく忙しい。
「タナッセのばーか」
 声に出して言うと、ちょっとほっとした。タナッセが悪い。私を放っておくようなタナッセが全部悪い。

 ところが信じられないことに夕食の時間になってもタナッセは帰ってこなかった。
「伺ってはいませんが、一晩滞在されるのかもしれません。お話しが盛り上がることもありましょう」
 そうご心配なさらずに、とやんわり諫められて私は心配してるように見えたんだとむっとした。タナッセが私を心配するべきであって、私がタナッセを心配するのは理に適ってない。道理に反する。協定違反だ。
「……それはどういったお戯れでしょうか」
 夕食の席に着いた私を見て先ほどの侍従がとても困った顔で言った。多分服のことを言っているのだろう。今私はタナッセの服を着ている。さっきまで着ていた上品でありながらどことなく愛らしいドレスは脱いでタナッセの箪笥を無断で開け、シャツから上着から下裳まで彼の私服を借用した。下着は穿くとどうもごそごそしていけないので断念し、つけないことで解決した。
「どうでもない、ただの遊び」
 彼は納得していないようだった。顔の筋肉がぴくりとも動かない。主人とは違うのだ。
「対象への自己陶酔的な同一化を図ることで愛情を表現している」
「さようですか」
 きっぱりと言うと諦めたらしく、それ以上何も言われなかった。タナッセの奴め、と私は無意味に毒づいた。


 タナッセが領主館に戻ったのは翌日の早朝だった。空気はしっとりと冷え、肌寒かった。朝もやの中農夫たちが仕事に向かうのが鹿車の窓から見えたが、レハトはまだ眠っているだろう。
 執拗に引き止めてくる相手から逃げ切れず、宿泊を余儀なくされたのは不本意ではあった。にも関わらず振り切って出てこられなかったのは出立前の言い合いが頭の片隅にあったからで、タナッセは疚しいような気持ちから抜けきれないまま帰宅した。
「お帰りなさいませ」
「ああ、酷い目に会った」
 出迎えた侍従に一言愚痴を呟き、ふと足元を見ると木の実が落ちていることに気づいた。タナッセがそれに目を留めたことに気づいた侍従は咎められる前に先回りして口を開いた。
「奥様が」
「レハトが?」
 侍従は含みを持たせて小さく苦笑し、その先は言わなかった。レハトが置いたという意味だろうか。何のために? 椎の実のように見えるそれは少し離れた箇所にもう一粒落ちている。
「まだお休みになってらっしゃいます」
 軽く頷いて、タナッセは点々と木の実が配置された廊下を進んだ。階段を上りきると杏の種があった。ちぎったパン。傷んだ野苺。古いキャラメル。割れた焼き菓子。ケーキの切れはし。たどり着いた先はいつもの寝室だった。静かに扉を開け薄明るい室内に入ると、足の下で木の実がぱきと割れる音がした。まだ続いているらしい。
 丸まって眠るレハトの枕元に小さいがあざやかな包みがある。あれは確か、とタナッセは手に取った。袋には色とりどりの飴玉が詰まっている。
「なんだ、これは……」
 飴を手に困惑したタナッセが呟くと寝台の中からかすかな声が返ってきた。
「めじるし……」
「目印?」
 声の主に視線をやると、一度開きかけた目をまた閉じて、布に埋もれたままレハトは眠そうな声を出した。
「まっすぐ帰ってこれるように、目印」
 レハトの頬にかかる髪を小指で慎重に払い、タナッセは起きていたのかと聞いた。
「飴食べた……?」
「いや」
 寝台に腰掛けて伸ばされた細い手を握ると、レハトは何度かまばたきしてから言い添えた。
「おかえりなさい」
「ああ。ただいま。すまなかったな」
「起きてたんだけど、眠くなったから、目印……置いといた」
「まあいいが……その格好はなんだ」
 ようやく彼女の着ている物に気づいて指摘した。初めは男装でもしているのかと思い、よく見ればまるきり自分の服だった。寸法の合わないぶかぶかの服を着て寝起きの白い顔をしたレハトは幼い子どものようにも、洗練された年かさの貴婦人のようにも見えた。
「ええとね……私なりの、意志表現。賛成ですよっていう」
「何に」
「あなたに」
 タナッセは自分の服を着た妻をどのように考えれば良いのか決めかねた。叱るべきなのかも分からない。他人の物を勝手に漁ってはいけない、だろうか。
「……何でも良いが、皺になる。お前も疲れるだろう。着替えて寝ろ」
 レハトは訳の分からないことばかりしている。奇矯な振る舞いは今に始まったことではなく、当人の天性なのだろうが、落ち着かなかった。
 もぞもぞと手足を動かして、レハトは毛布の中に頭を埋めた。その動作を追うようにして毛布にかけた手を引かれ、タナッセは誘われるまま寝台の中にもぐり込んだ。冷たい手、とレハトが囁く。
「タナッセ、外の匂いがする」
「外?」
「外気」
「土埃か」
「情緒がない」
「すまん」
「そういうところ」
「なんだ」
「言い方とか、そういうの」
「……悪かった」
「タナッセが悪いんだからね」
「すまない。悪かった」
「……帰ってこないかと思った」
「そんなことある訳がないだろう。どうしてそんな話になる」
「わがまま言って、ごめんなさい」
 余り身の入った謝罪ではなかったが、タナッセは受け入れた。元々けんかなどしていなかったのだ。
 見捨てられた子ども達のように寝台の中で額突き合わせ、ひそひそと声を交わした。でもぜんぶ許した訳じゃないからねと言いながら、レハトはタナッセの身を引き寄せ腕の中に収まった。
「飴」
「うん?」
 食べたいのかと、タナッセは手にしたままだった包みを渡した。レハトはかさかさと音をたてて包装を剥き、タナッセの唇に飴を押し付け戸惑う彼の口に甘いものを押し込んだ。
「私が食べるのか」
「口が甘くなったら、キスしてもいいよ」
 煮詰めた砂糖は強烈に甘く、急激に供給された糖分に下あごのつけ根がきちきちと収縮して唾液が一度にあふれ出し、口内に水たまりをつくった。この唾液は飲み下さないでおこうと飴を転がしながらタナッセは密かに考える。腕の中の身体は確かに温かかった。
 タナッセは甘い水を飲ませてやり、レハトがうっとりと目を閉じ睫毛を震わせるのを手伝った。