✥  番外1 我らが影の声[上]

・『運命の人』のその後の話、先に出ている番外より前の時間軸の話です(ごちゃごちゃしてすみません)
・R-18(弱)

ざっくりした前回までのあらすじ
重要イベント後反転しないままだったのでエンディングを迎えられずずるずると関係を続けていたタナッセとレハトはレハトが拝領した地でひとまず結婚式を挙げることになった

タイトルはジョナサン・キャロルのぱくりですが、内容はキャロルとは全然関係ありません




 婚礼の儀は古神殿で行うのはどうかと、レハトは出し抜けに切り出した。
 王城の片隅、誰の物でもない小部屋で二人は事務的に打ち合わせを行っていた。支払猶予の期限は過ぎ去り、タナッセは否が応でもレハトと顔を合わせなくてはならない。
 何のためにとタナッセが問うと、彼女は薄く唇を開いたまま動きを止め、前髪を一度無意味に引っ張った。それからあてもなくさまよわせていた眼球を相手に真っ直ぐに向けて、有名だから、と答えた。古神殿で婚礼を挙げられるなんて名誉なことだからと。
 以前の彼ならそれでも、ただ俗物めと思うだけだったろうが、その時にはレハトが口にする言葉は本心だと確信できなくなっていた。しかし、だからといって真意がわかる訳ではない。今こいつは嘘をついたとその時は感じられただけだった。何事か知らないが隠し立てされたことで僅かに不快感を覚え、不快になった自分に不愉快になった。仲睦まじい夫婦になろうとしている訳でもあるまいし、と悪循環を追い払うように目を逸らし長く息を吐いて、構わんとタナッセは答えた。
「敗者は勝者に従うものだ」
 一般論のごとくもの憂い調子でタナッセが続けると、レハトはしばらくためらった後、ささやくような声で慎重に異見した。
「私が勝ったわけじゃない」
「ああそうだな。お前の勝利条件は王位簒奪だろう」
「……本当は、王様になりたかったわけじゃないの」
「一体何の話だ」
 予期していなかった話の流れに意表を突かれ、タナッセは彼女を見た。
「聞いてくれないから、自分から言おうと思って。前向きでしょう」
 その口調は明るかったが、表情はぎこちなかった。彼女の手は膝の上に揃えて置かれ、心臓より下にあることで血管が見る間に膨れていく。骨の浮いた手に血管の上半分が盛り上がって浮き出ている様は病的で、ある意味レハトに相応しい様相と言えたが、タナッセにははなはだ見苦しく一層不機嫌を煽った。
「聞かないのは興味がないからだ。話さずとも結構だ。それともお前の話は全てうやうやしく拝聴する義務まであるというのか?」
「義務ではないけど」衝動的に返事をしてから、反駁するような己の言葉にひるんだかのようにレハトは弱々しく付け加えた。「けど……」
 引きちぎられた尾のような沈黙が、長々と横たわっていた。
「よくもそう、私と話せるな」
 私なんぞとという意味は言わなくとも分かるだろうと、正面を見据えたままタナッセが言った。ひたぶるにその横顔に話しかけていたレハトは一度口を閉ざし、彼と同じ方を向いた。
 一度魔物に生気を吸われた犠牲者はその甘美な経験を忘れられず、夜な夜な加害者を求め彷徨い、自己保存本能に逆らい、被虐にその身をさらすことを求めるという。低級な小説の筋書きがふと脳裏に甦り、タナッセは顔をしかめた。だが精神的な防御反応の一つとして、加害者におもねろうとすることはありうると、レハトを窺った。それからタナッセはまた一つ仮説を立てた。
 我々の間には魔術という常人には関知できない繋がりがある。もしも奴の行動が本心だったとしても、それは失われた自分の力を求める生得的行動ではないのか?
「だって、あなたしか喋る人がいないんだもの」
 他に思いつかないから口にしたとでもいうような調子でレハトは言った。
 けれどもまたそれも嘘だった。彼女には嘘をついている自覚はなかったが、それは実体から遠く離れていた。
 後から考えればそう難しい謎でもなかった。口実だ。
 王城においてこの新たに誓いを立てようとする二人がどのように目され口に上るか、改めて考えてみるまでもない。二人目は己が先行きの不安を手っ取り早く解消するためランテに印をくれてやったのだろうと、邪推する向きも中にはあった。だがほとんどはタナッセへの誹謗であった。彼に対する軽蔑の眼差し、悪意に満ちた嘲笑は無能と謗られ軽んじられていた王子時代の比ではなく、ランテの権勢への反発に根ざしたものを差し引いても余りあった。義憤に燃えた非難の声を聞くことも少なくなく、矛先は退位した前王へも転じようとしていた。
 そのような状況において王城神殿で二人が式を挙げるとなれば、よい見世物となっただろう。この国の中心にある人、神の愛し子と前王の令息という、本来ならば多くの人に華々しく前途を祝福されるであろうつがいがペテンなのだから。
 絵に描いたように病弱な寵愛者は口を閉ざし、不機嫌そうな花婿に手を引かれる。その催しは耐え難い屈辱の記憶としてタナッセの脳に残ったろう。麗しい茶番はあるいは類型的な悲劇として語られるかもしれない。何にせよその誓いを信じる者はいない。レハトにとって言葉通り命ある限り心尽くす誓いは、タナッセにとっては使用人に用事を言いつけるのと変わらない重みで口にされ、二度と顧みられない。
 リリアノは息子の決定に特段意見を挟まなかった。このようにするとタナッセからの報告を聞いた後でそれでいいのかと短く問いかけ、はいと彼が首肯すると分かったと同じように軽く頷いて、それで終わらせた。事はある意味でタナッセの手をとうに離れていたといえる。
 王城から最も遠い神殿、レハトが望んだのはまさにその遠さだった。結局、古神殿での挙式は実現しなかったが、レハトの希望は叶ったと言えた。



 一片の迷いなく最短距離で歩み寄る足音に、タナッセは手繰られるように振り向いた。聞き覚えがあると、頭の奥にしまわれた記憶が疼いた。
「来て頂けるとは、思いませんでした」
 まともな挨拶の前に本心が口からすべり出て、不作法な失敗にひやりとした。ヤニエは気にした風もなく、列席するとはまだ言っとらんぞ、と記憶の中と変わらぬ口調で言った。
 タナッセは午後の日差しに眼を細め、久方ぶりに再会した恩師を見た。ディットンでの短い逗留とヤニエ伯爵に師事した日々は遙か昔のことに思えた。
「通りすがりだ。どうしても外せない用事というものも、生きていればままある」
 手紙にこれまでの指導の謝辞を連ねた後、挙式の日程を書き添えたのは恩師に対する儀礼上の配慮だった。自宅から外出することが珍しい伯爵に出席を乞うつもりではなく、もとより望んだつもりもなかった。
「中々上玉を捕まえたものだ」
 挙式を数日後に控え、タナッセはレハトと連れ立って神殿にやって来ていた。
 レハトはこちらに背を向けて立つ神官と、立ち話の最中だった。大仰に手や頭を動かす神官の熱心さはこちらまで届かない。その神官の頭の向こうに、ちらちらと見え隠れする寵愛者の額をまっすぐに見つめ、低く通る声でヤニエは言った。
 城の貴族たちに同じことを言われたなら侮蔑と受け取ったろうが、タナッセの気分に特段変化は起こらなかった。迂遠な皮肉で相手の優位に立とうとなぞしない人だと知っていたからだ。
「――私が捕まったのです」
 正確には双方にくびきを担っている。だがもちろんそんな話をする訳にもいかない。
「なんだ惚気か」
 何か言われるかと思ったタナッセの予想は外れ、間を置かずつまらなさそうに返してヤニエは彼に向き直った。
「お前、私の言ったことを覚えているか?」
「それは……どれのことでしょうか」
「分からんのならいい」
 ゆっくりした動作で帽子を直し、ヤニエは改めて口を開いた。
「お前は逆だと思っているのだろうがな。私は聞く気のない者に話をするほど酔狂ではない」
 突き放すような口調は常だと考えていたタナッセは、かつての師がいたく機嫌が悪いことにようやく気づき、不審に思う。まさか心配している訳でもあるまいし、何が気に入らないのだろうとまごついた。
「その、今紹介を――」
「いらん」
「え、ちょっ、ヤニエ……師!」
 レハトを呼びつけようと後ろを向いた耳に、踵を返す音を聞きつけてタナッセは慌てた。呼び声には意に介さず、ヤニエはそのまま歩き去って行く。止められるだけの理由も情熱も持たないタナッセは見送るしかなかった。
 いつの間にか、レハトが背後に立っていた。二人は鹿車に乗り込み去りゆくヤニエを見送った。兎鹿がいやいやをするように首を振り、土埃が軽く舞う。
「留学、してたのよね。先生?」
「そうだ」
 問いかけが終わると同時の返答はそっけなかった。何かを察したのかレハトはそれ以上追求せず、そう、と小さく答え会話はそこで途切れた。
 話しかけるのはレハトからが多く、会話を切り上げるのは大抵タナッセだった。それでいながら、いつも敗北感に近いものを感じていた。


 領主のための館は古色蒼然たる外観だったが、内部はよく手入れされていた。
 タナッセはまず運ばせた荷や注文の品がきちんとあるか、また正しい場所にあるかなどを確認するため邸内を歩き部屋のひとつひとつを見て回った。なぜ自分がここに住むことになったのか未だに納得のいかないままに。これは自分の仕事だろうかと訝しみながらも他にすることはなく、タナッセは領主代行として、館の実質的な主として立ち回った。
 当初、主寝室は譲って別室に寝台を入れようかどうかと迷っていた。結局、行き来するのが面倒だとか、これ以上不仲を喧伝するような真似は厄介ごとを増やすのではとか、どうせ同じ事だとか、そのような消極的な理由から退けた。
 長旅続きの疲れが溜まっていたのか、到着早々レハトは体調を崩し臥せっていた。夜更けに寝室に入るとレハトは眠っていることがほとんどで、この夜も部屋の明かりは落とされていた。着替えを済ませ侍従を下がらせると、とたん室内はよそよそしくなった。あれだけ倦んだ城の自室が比較するように脳裏に浮かび、タナッセは己の懐古趣味に小さく首を振った。
 寝台に腰掛け身を滑らそうとしたとき、服の端を引っ張られる感覚があった。どこかに挟んだかとタナッセは動きを止めそちらを見た。何故そんなにも見当違いなことを考えたのか、つまりは一種の防衛反応のたぐいではないかと彼は推察した。なるべくそのことは考えたくないという底意が反応を鈍らせたのではないかと。
「疲れてる?」
 暗がりで静止する白い手は弁を反らせた香り高い花のようにも、多節の虫のようにも見えた。
「……熱があると、侍従が言ってきたが」
「だいぶ下がったし、移るわけじゃないし」
 どちらもしばらく黙り、その沈黙の方が余程耐えがたく、タナッセはその手を取り上げ了承の合図として自分の腿に乗せた。着替えたばかりの夜着を脱ぐのがひどく愚かしく感じた。
 常日ごろ冷たく乾いた肌は今、余人より余程熱かった。発熱している。生命が燃焼している、どこもかしかも発熱している、分かりやすく病人だなと、人ごとのように考えた。
 手早くすませてしまおうと女の腿のつけ根に触れ、自分自身の幻想に身を委ねると首尾良く彼は機能した。義務を果たせる安堵にひそかに胸をなでおろし、同時に苛立ちを抱え、彼女を開き中へと入っていった。
 湿潤な肉は重く、一段と熱かった。熱い湯に手を浸した瞬間のような原始的な快楽が、じんわりと背骨を押し広げ周囲の筋肉をほぐした。
 爛れた肉が沿うように、彼自身を封じ込めようと取り囲んで、タナッセはそれを掻き分け跳ね除けようと動いた。熱があるだけでこうも感覚に違いがあるものか。タナッセは無意識に吐息を洩らし、丁寧に腰を動かして内外の温度差を何度も確かめた。
 常にこうであればなと、ふっと頭に浮かんだ厚顔無恥な発想の醜悪さに肌は粟立った。
 タナッセにとって今や、些細な願望も欲求も、愉しむことは全て罪悪であった。それが今、贖罪などという言葉がままごとのように聞こえる恥知らずな発想を心に抱いた。すべての人が持つ善への希求、それへの問いかけがタナッセの生を支え、その願望が苦しみの根元、元凶であった。
 妙なことを考えながら行為に耽ったせいか、終わる頃には疲れ切り体を拭くのも服を着るのも億劫だった。
「おやすみなさい」
 レハトの声は聞こえなかったふりをするのに都合の良い小ささだった。絞り出したような声を最後に、またよそよそしい寝室にタナッセは戻ってきた。ほとんど自動的に衣服を身につけ、充満した匂いに吐き気を催しながらタナッセは今度こそ横になった。
 愛を交わし一つ寝台に隣り合い眠る二人は、それぞれ別の夢を見る。


 広間に一人きりという格好で朝食をとるのは、楽しくはないがそう悪い気分ではなかった。朝の光が満ちた広間は城のそれよりも格段に静かで、神経に障る会話は何一つ聞こえない。タナッセは一日の予定を頭の中でなぞり直した。領主の勤めは彼が全て請け負うと、あらかじめ取り決めていた。領地経営は決して楽な仕事ではなかったが、忙しさは内面の平安に役立った。
 少なくともあれが死ぬまではこの生活が続くのだろうなと、意気込むでも辟易するでもなく再認した。ただ空気が薄くなるような閉塞感をわずかに感じた。
 看取るためにここに居るのだろうか?
 こちらに居を移してから、レハトは寝室で朝食をとっているらしかった。昼は広間に出てきて、タナッセは執務室で食べる。そのすれ違いはタナッセは何ら意図してのことではなかったが、歓迎しているのも確かだった。
 中庭を望む廊下を移動中に、徘徊する後ろ姿を目にした。
 風に当たったりなどして、また体調を崩すのではないだろうか。そのまま死んでくればいいのだが。流れるような思考がたどり着いた場所に戸惑い、タナッセは驚いた自分を発見した。あれが死んでしまえばいいと思うのはどこもおかしなことではない。だが今その考えにたじろぎ、抵抗を覚えた。自分が高潔な人間たり得るなどという妄想はとうに捨てていたはずなのに。それならば――と考えかけてタナッセは「やめだ」と声にした。想像力こそが敵だ。考えるのは止めて実際的な仕事に励むべきだった。
 執務室は部屋の主の指示により、飾り気がなく、実質一辺倒の内装だった。不満と言えば窓から中庭が見渡せることぐらいだ。
 慣れない仕事に四苦八苦しながら書類と格闘していると、時間は驚くほど早く過ぎた。ノックの音に入れと指示したときは無心だった。扉の開閉の後、侍従だろうと決めてかかっていた耳にさわさわと伝わってくる衣擦れが聞こえ手が止まった。レハトは端然とただ立っていた。
「何だ。何の用だ」
 タナッセは顔を背け書類に向き直った。
「ねじを巻き直してもらおうかと思って」
「ねじ?」
 隣に立ち机に片手を預けて、レハトはそっと身を屈めた。瞳は静かに潤いどこかもの憂げではあったが、特筆するような感情は窺えなかった。なんだと言いかけて聞くまでもないと思い直し閉じた唇に、同じものが重ね合わされた。礼儀正しく、抑制された、唇のただ表面が接触するだけの口づけだった。
 タナッセが二度ほどまばたきする間、周囲は何の音もしなかった。差し込む光は平穏な日常を演出し、窓の模様を通して床に揺らいでいた。世界は終わったのではないかと思うような静けさだった。
「――もういいだろう」
 動揺ない、冷淡な声が思いがけず出たが、レハトは別段表情を変えずありがとう、と同じように平板な声で返した。追い払われて肩を落とす訳でもなく、来たときと変わらぬゆるやかな速度で退室した。後には彼が残された。
 一見すれば何ら変わりない室内に、レハトが残していった淡い温度が唇に乗っていた。先程までの苦しさが薄れていた。
 抱き合うことも向き合うこともない、握手と変わらない程度の接触に、何故こんな気持ちを引き出されたのか、この平らな心は何なのかと静かに考えてみたが答えはでなかった。
 あるいはあれと同じように、私にも魔術の反動があるのかも知れない。ふれあうことで流れ出るものが、私にも及ぼすのかも知れない。
 タナッセはそのような解釈を捻り出し、かぶりを振って書類に戻ろうとした。何度見返しても文字の羅列は意味を持たず、切実なため息を吐いた。
 与えられた答えの意味を、ずっと考えている。