✥  三月のバレンタイン

お題:私のクレジットカード
現代パラレル/タナッセ×レハト




 メールを送ったから見て、と電話がかかってきたのは午後の五時、そろそろ洗濯物を取り込まねばなと日の傾きかけた窓の外を見ながら考えていた矢先のことだった。
「携帯じゃなくて、パソコンに送ったから見て。あと、クレジットカード持ってきて」
「私の?」
「あなたの」
「私のクレジットカード?」
「そうよ、いま言ったでしょ、聞いてなかったの? あ、今何かしてた? 大丈夫?」
 電話に対応しながら窓を開け、ベランダに半身を乗り出し洗濯物に手を伸ばした。つい先日まで肌を刺すようだった空気は和らいで、僅かに新芽の香りがただよっている。
「大丈夫だが、少し待て、洗濯物が……」
「ちゃんと自分で洗濯してるんだ、えらいえらい」
「お前がクリーニングばかり使うなとぎゃあぎゃあうるさいから――私は別に」
「ねえまだなの? 早く! 早く!」
 恋人はいつも元気で、機嫌が良い。何が楽しいのかレハトははしゃぎっぱなしで、早く早くとふざけ続け時々こらえきれないような笑いを洩らした。
「お前な、突然電話してきて訳の分からないことを命令するな」
 さて財布はどこにやったろうかと部屋を横切り、ジャケットの内ポケットに手を押し込む。あった。肩と首に挟んだ電話の向こうから弾んだ声がする。
「あのね、これ……あ、いいややっぱ早く見て、見れば分かるし」
 理由や目的や意味は分からなくとも、レハトが楽しそうなのは私にも嬉しいことだった。机に戻ってコンピュータを操作しながら伝染するように笑みがこぼれた。
「一体何を見せたいのか知らんが、ずいぶんと楽しそうだな」
 見慣れないアドレスからのメールが一通届いているのを認める。
「おい、これか?」
 メールにはご確認くださいの文句と長いURLが記載されていた。電話の声に誘導されるがままにクリックすると、
「……なんだこれは」
「見た? ねえ見た? どう? どう思う?」
 承認と却下のボタンが下部に並列されたページが開いた。並んでいるとはいっても、却下の方は申し訳程度に添えられているだけだ。
「お前…………お前は。何を、一体何を考えている」
「何って、書いてあるでしょ。私が選んで、お会計して欲しい人にメールを送って、プレゼントしてもらう仕組みになってるんだよ。そういうサービスなんだから」
「…………下着に見えるのだが」
「下着だよ、水着には見えないでしょ。あ、でも最近のはそうでもないか。って、そんなことどうでもいいの。ねえこれどう思う? 可愛いよね?」
 画面の中では下着姿の女性が目的の分からないポーズを取り、何事かを訴えかけるような上目遣いをしている。半開きの口が生々しく、日中ふいに見せられる物としてはいささか不愉快な部類といえた。
「みっともない……」
「えっ可愛くない? そんなに派手じゃないよね? 好きじゃない?」
「それ以前の問題だ! お前な、他人、それも異性にした、下着を買わせるなどいくら、その……恋、人同士とはいえ不品行というか、道理としてどうかと……思うぞ。まったく、信じられん。恥と知れ」
 それともありえないことでもないのかと、急に不安に駆られて訓戒は尻すぼみになった。一般的には普通のことなのかと、取り込んで小山になっている洗濯物が視界に入る。
 レハトとの価値観の違いは折に触れて感じていた。洗濯にしてもそうだった。すべて業者に委託していることを知ると、レハトはひどく衝撃を受けた顔をして、嘘でしょ? と質問するでもなく呟いた。感化された訳ではないが、それ以来洗濯がまれに日常生活に加わった。
「えーっそこは別に、いいでしょ。変じゃないよ、だってそういうシステムがあるってことは、利用する人が一定以上いるっていう根拠があって、ある程度は需要を見込めるからでしょ。話題性で客寄せって言っても誰も見向きもしなかったら意味ないじゃない。普通だよ」
「お前それは事前に考えてきたのか? ぺらぺらとよくもまあ屁理屈をこねてからに、それに乗らねばならぬ道理などないだろうが。欲しいのならば自分で買え」
「ホワイトデーのお返し、これにしてもらおうかと思って」
「……ほとんどお前が食べたと思ったが」
 寒さで赤くなった頬をマフラーで隠そうとしながら、レハトは美しく包装された小箱を差しだしてバレンタイン、と一言小声ではにかんだ。先月十四日のことだ。
 甘い物はそれほど得意ではないのだが、その気持ちが嬉しくありがたく受けとった。中には数個のチョコレートがそれぞれ美しく飾られ行儀良く整列していた。良い品だなと思い、もう一度礼を言おうかとレハトに視線を戻すと、彼女はこちらの手元を食い入るように見つめていた。私ではなく。
 一粒、シンプルな物をつまむと真剣な眼差しが追従してくる。これが例えば手作りであるとかならば、反応が心配だとか、そういった態度として納得も出来るのだったが。美味いなと言うとレハトは、そうでしょう、とほとんど沈痛とも言える深刻な表情で頷いた。箱を押しやって食べるよう勧めると、あげたものだからと一度は形ばかり遠慮していたが、結局は食べた。一粒四百円、とチョコレートに向かって囁きながらレハトはうやうやしく口に運んだ。
 レハトはしばらく身を縮め悶えてから、美味しいと噛みしめるように感想を教えてくれ、もう一個食べていい? と続けて聞いてきた。好きにしろと答えながら、先程までのしおらしい態度は何だったのか、釈然としない思いだけがくすぶった。
「だってタナッセは甘いものあんまり好きじゃないでしょ。甘いの嫌ならちょっとお高いポン酢とかにしようかって言ったらそれも嫌だって言うし。チョコレートも好きな人に食べられた方が幸せだよ」
「どっちにしろ食われるならどう思われようが同じだ、馬鹿馬鹿しい。大体そのポン酢とやらもお前が欲しいだけだろう……というか何だポン酢とは」
「私はどっちにしろ食べられちゃうなら、美味しいと思って欲しいけどな」
 どんどん話がずれてきている。
 こいつの放言をまともに取り合うと脱線しきりになるばかりだと、頭を振り無意味に財布を開け閉めし、話を戻そうと努力した。
「ともかくだな、あまり思慮を欠いた行動をとるな。その……二人だけの事とは言え、軽率にも程がある。返礼の品なら別に用意している」
「はあーい……」
 肯定の言葉に渋々ながらも受け入れてくれたようだと安心し小さく息を吐いた。
 レハトの突飛な行動は今に始まったことではないが、何度繰り返しても心臓に悪いのもまた事実で、気を逸らそうと窓の外を見た。陽光が斜角から平行になろうとしている空は燃え尽きる寸前で、茜も群青も徐々に彩度を失っていく。
「すごく可愛いデザインだと思ったんだけどな。何がだめ?」
「駄目というか、いくらなんでも露骨というか、もう少し……いや違うそんな話ではない」
「露骨?」
 落胆した声に同情心のようなものが湧きあがり、蒸し返すなと言い損ねた。おかげで口が滑りかけた。
「だから、こういう……全部だ、このやりとりが、もう全て駄目だ」
「こういうの好きだと思ったのに。やっぱり白がいいんでしょ? これね、横のところがフレアになってて――」
「説明せんでもいい!」
「もう、タナッセったら文句ばっかり言わないの! 何がいやなの? どんなのならいいの?」
「何故こちらが責められねばならんのだ! お前ふざけているのか」
 見当違いにも下着の形について懸命に説明しようとするレハトを遮ると、唐突に開き直り詰問してきた。突きだした唇が見えるようで、どうにか自覚させようと言葉を荒げたがやはり見当違いの返事があるばかりだった。
「だって……タナッセ、いつも全然見てないでしょ。私だって色々考えて選んでるのに」
「見……お前、見るわけないだろう。下着姿だぞ」
 拗ねた口調の言い訳にめまいがして目を閉じ、指先でこつこつと机を叩いた。どんなことを『色々考えて』いるのか、考えたくもない。
「見て欲しいのに」
「――見て欲しいのか」
「えっえーと、そう言われると……そういうわけじゃ」
 何か聞き捨てならない言葉を耳にしたと、ほとんどおうむ返しに尋ねると何にうろたえたのか妙な間が開いた。
「そもそもお前が欲しいだけの物を私が買うのか?」
「えっと、それは……あの……。違うけど……」
 先ほどから何となく疑問に思っていたことを口にしてみると、要領を得ない否定がまごつきながら返ってきた。その反応にこちらが面食らい、少し黙って、それから思いついた言葉を何度か唇を舐めて考え考え、口にした。
「……私に見て欲しいとお前が言うのなら、まあ、買ってやらないこともないが」
「…………やっぱいい!」
「そうか」
「……う」
「却下でいいんだな」
 画面を開いたままでいる私も義理堅いと、財布からクレジットカードを取り出し刻印に指をすべらせ、一度脚を組み替えて返事を待った。逡巡する気配が電話の向こうからありありと伝わってくる。結論がどちらであっても私にこれ以上の痛手はない、たぶん。
 電話を取り落としそうな気がして息を詰めていると、おずおずと呼びかける声がやっと聞こえた。
「あの……」
「なんだ」
「えーと、あのー……か、買って欲しいな」
「だからそれは何故だ」
「それはあの……タナッセに、見て欲しいから」
 囁きは鼓膜をゆっくり押し抜け内耳を辿り、脳のたまりを震わせてくすぐった。
「最初からそう言えばいいのだ」
 承認のボタンを押下し、愛の誓いの日にふさわしい言葉を遅れて受けとった気分で、カード番号を入力した。