✥  去年の犬

即興より お題:去年の犬 必須要素:囚人
じわ憎ランテ監禁エンド/嫌な主人公/やや不快な表現があります
主人公の能力初期値がオール0なのはママンが死んでぼんやりしてる間に下がった説でひとつ




 もしも王に指名されたら断ろうと思っていた。城も貴族も嫌いだからだ。馬鹿みたいな服も馬鹿みたいなお喋りもつまらなくて、うまいこと乗り切りながら僕はこっそり奴らを見下してた。選定印の光に集まる貴族達は炉に集まる蛾によく似ていた。休むことなく翅を動かし周囲を飛び回りながら漸近線を描く彼ら。鱗粉が口に入りそうで気色悪くて、笑顔をつくるのは特別の時だけにしておいた。善い人間であるかのように振る舞えば良い気分になれると僕が知ったのは、城に来てからだ。本心をそのままさらけだし周囲に悪意と憎悪をばらまくのは恐ろしく疲れる。他人を傷つけると、他人を傷つけたことで自分が傷つくからだ。いい奴のふりをすれば皆から慕われ感謝されて、揉め事が起きても助けが入る。これがまっとうな人間関係というものだ、相互に気づかいを忘れず助け合いの精神でやっていくのが。もっと早くこうしていればよかった。皮肉でもなく、素直にそう思った。そして僕は上っ面ばかりでちゃんとは生きてない彼らは僕の影法師のようによく似て嫌いだった。つられて思い出すのは、己にそっくりだと言ったヴァイルの言葉だ。どこが? 全然似てない。
 だから王様とかやっぱり無理ですと言おうとした瞬間激昂して割り込んできたヴァイルの提案に乗っかった。渡りに船。どちらに冠が下ろされるか決めようって、おいおい結果はもう出てるだろ僕の勝ちじゃん何言ってんだかと思ったけれど、いや僕は王とか無理だし実は嫌だし、王を目指すとか言ったのは気まぐれで口にしてみただけだから気にせずお前やれよと言ってもなんだそうかよかったじゃあ俺が王でいいよねこれで万事解決、なんてならないことはヴァイルのおっそろしい顔を見れば火を見るよりも明らかと言えた。殺される。まあそれもいいけど。
 剣技はそこそこ自信があったので適当に負ければいいやと思っていたのに、普通に負かされてしまった。ヴァイルはまったく王様そのものだった、正統派の太刀筋とそれに伴う実力、そして僕には生涯持ち得ないだろう気迫。あ、これは負けるな、と途中で気づいてからは怪我をしないようにだけ気を配った。痛いのはいやだ。
 新年最初の日は洗濯日和の良い天気だった。風碧落を吹いて浮雲尽き。僕の運も尽き栄華の道程もここまでというわけだ。見物人たちは落ち着かなげに顔を見合わせ、さわさわと何事かを囁き交わしている。新たな仕事が増えたのだろう。何しろ一度は僕のような野良犬まがいの野蛮人を国王に据えるという狂気じみた英断、いや蛮勇、愚行、なんでもいいけど決断を下していたというのに、またひっくり返してやっぱりやめ、だもんな、大丈夫かなこの国、まあ色々調節だとか、大変なんだろう。知ったことではない。知ったことか。痺れる腕を強く掴み現実感を味わおうとしたけれど、どうしても白昼夢のようだった。一体僕はどこにいる。
 負けちったなあとぼんやりする僕を尻目に移譲の儀はガンガン進んだ。やたら明るい屋外からまた移動してきたので目が慣れない。人が染みのように見える。この後どうしようかな、そもそも何も決めちゃいないけどな、リリアノの言うとおり別の所でも見に行こうかとつらつら考えていたけれど、心配無用だった、僕の今後はヴァイルが決めてくれた。自分のことを考えなくていいならそれに勝る楽はない。
 それにしてもヴァイルはまったく可哀想な奴だった、僕みたいな奴に振り回されて。最初の頃のあいつの期待に満ちた目には、ちょっとカンベンして欲しいな、と思っていたけど。こちらが何か言うたんびに嫌われていくのが手に取るように分かってそれもカンベンして欲しいな、と思っていたけど。
 城に連れて来られたばかりの頃、僕はなかなかに馬鹿だった。母さんが死んだことで上手く物が考えられなかったし、矢継ぎ早に人や規則や部屋の場所を覚えろ覚えろとせき立てられて周りどころか自分も見えてない有様だった。
 そして僕は中庭で占い師を自称するお兄さんに会った。
 気持ちを後押しする? どうやって? え、ヴァイル? ヴァイルが僕を憎んでる。へえええええ。ほんとう。僕はそんなでもないけどね、ちょっとこいつとは合わねえな、まあ貴族のてっぺんに立つ奴だもんしょうがねえよな、とは思ってたけど、憎んでる。ヴァイルが。へええー。あ、ハイハイ、そうね、じゃあ、お願いしようかなあ。ほんとかどうか、知らないけど。
 女性だと思う。耳を撫でるような響く声を頭の中で鳴らそうとしたけれど、出てこなかった。ずるずる服にじゃらじゃらの装飾、もしかしてあの占い、効いたんだろうか。だとしたら本物の魔術師だ、もっとマシな相談をすれば良かった。死人を生き返らせたり出来ないのかとか。
「しかしまあ、監禁かあ……」
 もちろんヴァイルの判断は正しい。均衡はそれだけで善といえる。本を閉じて顔を上げ、成人して以来寝起きしている部屋を眺めた。ここ、ランテの本屋敷は海のそばらしい。らしいというのは実際には見ていないからだ。鹿車から降りてまっすぐこの部屋に押し込められて、それきり。眠る前、寝台に横たわり死んだふりをしていると壁の向こうから話に聞くところの波の音が、さざめきが這い寄ってくる気がする。それはあの占い師の声に似ている。僕は海になんてぜんぜん興味ない。
 この一部屋に僕の家が丸ごと入るだろうなと、大貴族の御屋敷のそのまた一室を見回して無意味な換算をする。あの家は今でもあの村に変わらずあるんだろうか。懐かしい村、懐かしい我が家。
 なあ母さん、どう思う?
 母が死んで、僕は本当にがっくりきた。
 おいなんだよ。あんだけ厳重に僕のことを支配して、お前が王になるなんて許さないなんて言ってたのに、事故であっさり死んじまうなんて、そんなのありかよ。
 一日中窓を閉め切った室内は薄暗く、まともに掃除もしていないために常に埃っぽくすえたような匂いが漂っていたその家で、僕は朝な夕な母と額突き合わせて子ども時代を過ごした。
 小さい頃、お前をどこにもやらない、お前のせいであたしの一生めちゃくちゃにされたんだから、お前は王になんてなれないんだなどと繰り返す母の呪詛を、僕は狂人のうわごとだと無視してきた。王がどうとかというのは何かの喩えか妄想だろうと。まさか自分に本物まっさら掛け値なしの王位継承権があるだなんて、実の父親が涙ながらに迎えにくる以上の夢物語だ。しょうもない。
 あたしは本当は大きなお屋敷の奥方様に収まる手はずだったのに、お前が産まれたときお前を見てあの人は悲鳴を上げてあたしを追い出した、使用人に手を出して孕ませた上追い出したんだ、一文無しのあたしを、着の身着のまま、寒空の露地に、放り出したんだ!
 繰り返す母さんのひきつった声は今も耳の奥でこだましている。
 そいつは大変だったな、おかげで僕も大変だ。毎日畑を耕し豚を追い、水を汲んで飯の支度をして、豆のさやむきすらろくすっぽできねえのにこんな貧しい飯はいやだと抜かす母親の二人分働かなきゃならない、僕には想像もつかない大きな屋敷に仕えてた? へえ、本当かよ。じゃあ大貴族に買われたその図抜けた技量とやらを息子のために披露してみろよ!
 こんな感じで僕と母は基本的にいがみ合い、罵り合って憎みあった。
 母の話がどこまで本当なのか、確かめることはもうできないだろう。とくにこんな所に閉じこめられた今では。けれども十五年前に本当は何があったのかなどどうでもいい。母がそう信じていたということが全てだ。
 僕は母を憎んでいた。それは間違いない。けれども、とてもねじれた形ではあったけれど、やはり母を愛していた。呪いとしかいいようがない。
 暇つぶしに紙で矢をつくり遠くに飛ばそうと狙いを定めながら、さっきまで読んでいた恋愛物語を思いだした。こんな話だ。
 長きにわたり敵国に囚われ続けたある国の継承者が、監禁されている牢の窓から視線を交わすだけの乙女に恋をする。彼女もまた囚われの身であり、同じように思いを寄せてくれていることが手紙から伝わる。彼女とのささやかなやり取りや故国からの知らせに獄中で一喜一憂するしかない日々を堪え忍び、物語終盤、彼は味方の手を借りて牢を脱出する。迫り来る敵と手に汗握る攻防を繰り広げ長い旅路を逆にたどり、祖国に生還してついには玉座を奪い返す。
 僕はその先のページを読まずに破り捨て、その後王となった男は囚われの乙女のことはすっかり忘れ、よその国から美しい娘を娶り幸せに暮らしました、めでたし、めでたし、と書き加えた。
 しかし、モゼーラには悪いことしたかもしれない。『二人目』を庶民出身の寵愛者として期待してるっぽかったのに。王城も村も神の国も今はみな杳窕の地にあり、譲位を目前にして前触れなく見出され、玉座に手を掛けながら正当なるランテの当主に決闘で敗北し最果ての地に幽閉されることとなった『二人目』の成功と蹉跌の物語は、柱の陰で酒杯の陰で消費されていることだろう。
 僕はみんなの期待を片っ端から裏切っている。できるならアネキウスの野郎の期待も裏切りたいところだけれど、きっとあれは何をしたって僕を愛し続けるんだろう。気色悪い。死ね。死なないのか。もっと気持ち悪い。
 愛される不愉快さは神でも人でも変わりない。誰もがみな愛されるよりも愛することを望むのはそのためだ。
 僕をつかまえている限り彼も僕に囚われ続ける。母が僕に支配され続けたように。母は死んで僕から解放されたが、残された僕はいまだに彼女の視線を背中に覚えている。
 僕は彼に乙女でも王でもない役割を振った。去年の犬は今年も犬のままでいる。囚人になり損ねたからだ。その役割は僕じゃない。