✥  気持ちいい夜中

即興小説より お題:気持ちいい夜中
タナッセ愛情B後/R18




 気持ちの良いことはすべて夜にある。たとえば湯浴みだ。
 村にいたころ風呂といえば水を張ったたらいに身を屈めて、適当にこすったり撫でたりするか、川で洗ったような気になるかという程度だった。それが今では腿まである深さの桶になみなみと湯を注ぎ膝を伸ばして、そこから見えるもの何もかもを独り占めできる。
 湯の中で音もなく手を泳がせると、白い影にいつか窓から見下ろした湖の魚影を思い出した。遠くへと奔りぐんぐんと小さくなる揺らいだ残像、しかれども海にたどりつくことはない。
 手首を曲げ目の高さにまで手を持ち上げると、指先から水滴が逃げていく。最後の一滴は爪の先でゆっくりと肥え太りながら短い時間、そこに留まっている。
 子どもの頃、ときどきこうして指先を眺めていた。子どもの細い指の先に膨らんで留まる透明な楕円は、正面からは伸ばした爪のように見えた。それも高貴な女性の、長く伸ばし表面を磨いて整えた優美な爪。視察に来た役人だか領主だかの妻が、息子の頭にいとしげに手のひらをおいて滑らせたのを見たとき、陽光に爪が光るのを目の当たりして驚いた。そのときまで爪について何か考えたことなどなかった、それがきらきら光って人目を惹くようなものだと思いもしなかった。
 頭をのけぞらし後頭部を側壁に押し当て、湯の中に手を落とした。繰り返し何度も水の塊を押しつぶして生まれた細かな泡が沈み、浮き上がろうともがき暴れて腰や背中、脇腹などを慰撫する感触を身悶えして一人愉しんだ。
 私も大人になり、ずいぶん遠くまで来た。
 ふれてくすぐったいところはみな官能に通じるところだと身をもって学んでから、意識して触るようになった。首回り、掌、脇腹、腋の下、足の裏。自分でふれてみてもどうということはない。ところが他人にふれられると、指先が浅く皮膚を渡っていくささやかな接触が何倍にも膨れあがって身体の芯を揺すり、飛び上がりそうになる。
 私の爪は今でも短いままだ。背中に爪を立てるなと怒られてから、短く切り注意深くやすりをかけて丸く整えている。彼の爪はいつでもそうしてある。それがいつどのようにして為されるのか知らないなと思い、知らないままにしておくことにした。
 知らないままにしておいたことに関して、折にふれ自分勝手な想像を膨らませている。例えば彼の爪は私の知らない誰かが整えている、とか。
 視察に行く荘園には身寄りのない若い娘がいて、彼女は見るからに彼好みの儚げな風情をしている。こぼれ落ちそうな丸い瞳に濃い睫毛を震わせ金茶の後れ毛も初々しく、領主さまに思い出を頂きたいのです、などと可愛らしいことを思い詰めたように言洩らす。もちろん彼はまんまとほだされて、関係を持ってしまう。一度関係を持ってしまえば後はずるずると、顔を合わせるたび慌ただしく交わって、その後で彼女はこれくらいさせてください、と言いながらひざまずき彼の手足の爪を切る。
 タナッセにそんな人がいれば良いなと思う。彼に私の知らない顔があって、そのことで傷つけられたいと思う。そうなれば、私は彼のことをもっと好きになってしまう。
 知らないままにしておこう、でもいつか彼の爪を切ってあげよう。
「――何を考えている」
 うっすらと不機嫌さのにじんだ声に考えを中断されて、目を上げた。ぼんやりしすぎたようだった。
「ううん。タナッセの爪を切ってあげたいなあと思って」
「爪? どこか痛かったか?」
 私の知らない人とあなたとの性行為を想像していたと言うのはやめておき、無難な返答を選んで口にした。それを遠回しな苦情と受けとったのか慌てだしたので、そうではなく、ただ親愛の証として何かしてあげたいのだと説明した。爪を切るとか、髪や体を洗うとか、靴下をはかせてあげるとか、そんなこと。
「……良く分からん」
 けれどもタナッセは私のことが良く分からないのに慣れ始めていたので、分からないなりに納得したようだった。自分には理解できないが、レハトはそうしたいらしい。
 四本の指があごの下、喉の上から下方に滑っていく。気難しそうな顔で乳房を撫で、肋骨に指を沿わせ、へその窪みを通り過ぎていった。彼の手は温かく、犬の毛並みを確かめるような心得た触りかたにもうっとりする。
 二人とも裸だというのにタナッセは何一つ面白くなさそうな顔をしている。性交のとき人は真面目な顔をするものだ。だけども相手が真面目な顔をしていると可笑しくなってしまうのが私という人間の悪い癖で、しかも気持ちよくなるとさらに笑いたくなってしまうのだから始末に負えない。自分でもそう思うのだから、タナッセは大層気に入らないことだろう。私は心優しい女であるし、彼を傷つけるのは本意でないため、なるべく笑わないでいようとまぶたを閉じてそっと息をつく。
 乳暈に生温かい舌が這い、タナッセは乳首を優しく含んだ。けして認めようとはしないけれど、彼は乳首を吸うのがずいぶん好きだと思う。私を喜ばすためというより自分の口を慰めるため熱心に、というよりほとんど無心に吸っているときがある。舌先で転がしながらただひたすらそうしていることもあった。
 以前より腫れて肥大したように見えるのは単に成長したからだけでないと思う。タナッセの唇の動きは次第に熱がこもり、さんざんに吸われひっぱられて敏感になってひりひりする。
「あっ……」
 ちりちりする乳頭を冷えた指先がつついて、反射的に声が出た。タナッセは薄闇の中こっそりと唇だけで笑ってもっと虐めにかかる。私が目を閉じようとすると何度も名前を呼んで気を引き、それを許さなかった。
 昼間はむず痒いだけの場所に今は身体が震え息が詰まる。
 絡まりあい押しひしがれ、とうとう耐えきれずに笑い洩らした。身をくねらせながらすごく気持ちいいと歓声を上げ、皮膚を擦り合わせて舌を伸ばした。
 タナッセの脇腹は焦がした藁のような甘い匂いがする。

 普段一人でいるときにも抱えられている感覚が消えないでいる。
 私はいやらしいことが好きで、真昼の何でもないときに行為の思い出に耽るのが好きで、下を向いて真面目に仕事をしているタナッセの目の前で同じように真面目な顔でいやらしいことを考えるのが好きだ。
 頭の中であれこれと黙想し、そうして見つめているために不審がられて、どうしたと聞かれるのを待ち望んでいる。私は考えていたことを正直に告白し、呆れた顔をされ無分別だのけじめをつけろだのと叱られる。彼もそのときは本当に叱っている、そのときは本心だ、夜になりそのことで私を虐めるときは口実だけども。心が移ろいやすいというわけではない。
 後ろから近づき襟と襟足の隙間に覗く盆の窪のなだらかなへこみに指を這わせ、邪魔しに来たと言って背中に張りついてみると、少し離れろ、と考えていたよりずっと強い口調で注意を受けた。タナッセは真昼にふれあうことに強い抵抗がある、私は少しばかり体温を感じたかっただけなのだけど。
 ただそれだけで催したのは私だけの責任ではないはずだ。けれども私は心優しいので、さらに言えばよせと言われるとしたくなるのが人情というものなので、彼が私のせいにするためのまっとうな理由をつくってやることにする。
 執務机に入り込みひざまずいて下衣に手を掛け、うやうやしく陰茎を取り出しその上に屈み込んだ。
「おい、お前……待て、ちょっと待て、何をしている」
「タナッセのオチンチンをしゃぶってます」
 質問に答えると、聞いたのは自分のくせに彼は絶句して硬直してしまった。私は気にせずまだ縮こまったものを口淫する。もごもごと口を動かすと、口内で膨らんでいく陰茎に喉が圧迫されていく感覚がある。タナッセが胸に執着するように、私もこれが気に入っている。
 硬い芯の表面に柔らかな肉が乗った独特の感触、鼻孔に絡まる蒸れた皮脂と汗と尿の僅かな臭い、先端からとめどなく溢れてくる体液の生臭い刺激と、絶え間なく続く規則的な水音。何も考えずただ行為に没入していき、頭がぼんやりと、恍惚としてくる。口の中が気持ちいい。
 持ち上げた陰嚢は銅貨の詰まった皮の財布のようにしっとりと重く、水袋さながらに柔らかい。呑み込もうと鼻先を埋めたあたりで、彼ははっとして腰を引こうとした。
「レハト、おい……も、もうよせ。こんな所で……」
 押し返そうとする手は弱々しかったが、囁き声も力なく、本当に困っているようだった。血が巡り活力が横溢した性器は唾液できらきら光ってはずんでいる。
「そう?」
 いくらか満足したことだし、やめろと言われたので素直に口を離した。口の端から垂れ下がる唾液をすぐさま自分の手ふきで拭いてくれ、お返しに私も拭いてやった。
「タナッセはこんな所まできれいな形だね」
 しゃりしゃりする手触りの薄い布の上からそっと手のひらを滑らせ慎重にぬぐってやりながら、笑いかけた。屹然とした性器はまっすぐに太く、高さのある頚といいつやつやした頭といい、見本のように美しかった。
 血管が縦横し起伏をつくる陰茎はごつごつと貧弱なところがなく、総じて皺のないふっくらした陰嚢は愛らしい。
「……よせ」
 束の間寄った眉間の皺は、私の心からの賛辞とからかいをきちんと弁別したらしく迷いながら散じた。だからといって羞恥心が消えるわけでもないらしくまだ勃起したままの物をそそくさとしまい込み、隠してしまった。彼にとって気持ちのいいことは夜だけの楽しみなのだ。それまで私たちは知らんふりしたり微妙に当てこすったり反省したそぶりをして遊んでいる。
 強固に反抗してやりこめると萎えてしまうし度が過ぎて従順でもつまらない、けれども調節しようと奮闘している私の意図をあまりに意識してしまうと、それはそれで面白くない。
 私はタナッセのご機嫌をとろうと一所懸命だ。
 何を受け取り譲り渡すのか画策し心からの贈り物を目隠しにさえ使ってしまう。彼も私と同じだ。たわいない駆け引きは遊戯に見せかけた戦いだ。手綱を取ろうとじゃれあいながら、そのくせ機をうかがいお互いを見張っている。
 手の甲を撫でて私の首筋に導き、手に汗を掻いているねとわざわざ指摘して少し笑ってやると、タナッセは分かりやすくむっとして、苛立ちから自制が利かなくなる。練ったような甘い闇が毛穴から密やかに入り込む。半ばに気づいてけれどももう戻れず、お前はどうしてそう私を挑発するのだと、ほとほと困り果て訴える声に酷くされたいから、ととびきり微笑んだ。
 好き者だと責められひどく痛くされたり、その後で優しく撫でられたりきつく抱きしめられたりと、タナッセが私の体を欲しいままにおもちゃにするのが好きだ。
 おもちゃになるのは楽しいことだ。自分の体が自分の意志を離れて勝手放題されているのも楽しいし、彼が私の体で遊んでいるのを見るのはさらに楽しい。もっとめちゃくちゃにすればいいのにと思う。私はタナッセが我を忘れただ性行為に没頭しているのを見るのが好きだ。
 気づかいや恥じらい、罪悪感など何もかも忘れ目をつむり唇を薄く開いて、うつむき加減にただ腰を振り汗みずくになって肉欲を貪る姿に私は深く満たされ、とても親切にしてあげたような気分になる。実際私は情け深い女だと思う、いつでも何かを気にしている彼に、ひとときでも世間の雑事を残らず忘れさせてあげているのだから。
 私は淫蕩で、軽薄で、いい加減な俗物だ。夫は嘘つきで、存在の許されない魔術師に通じている。本当なら私たちはまとめて魔の国に堕とされたことだろう。
 しかし私は唯一絶対の神から肯定された存在であり、私が愛した男が断罪されるとも思えないので私たちは許されているのだろう。だが誰に許されなくとも別にかまいやしない。私たちは今でも共に手を取り合えた奇跡のただ中にいる。
 神の手を握れずとも構わない、一緒に夜を迎えられる人がいるのだから。