✥  臆病者達の恋[1]

タナッセ友情エンドA その後。
レハトのメンタルがピンチ




 眠るのは好きだ。寝台に横になって、ゆっくりと意識が沈んでいく感覚はどこかほっとするものがある。ここは心から安心する場所ではないけれど、そしてそんな場所や夜はもうこないのかもしれないけれど、眠っているときは全ての責任から逃れられるような気がする。
 たとえば寝てる間に刺客に殺されてしまっても、私の責任とは言えないだろう。寝ている間に国政を揺るがす大事件があったとして、誰かに起こされるまでは私は知らんふりでいられる。
 そして眠っているときに現れる夢には、私に責任があるわけじゃない。たとえそれが私が望んでいたとことだとしても私の行動の結果でないものには、責任を負えるわけじゃない。


 そんなことを中庭で湖を見ながらぼんやりと考えていると、唐突に後ろから強く肩を掴まれた。まったく人の気配を感じなかったので驚いて声も出せずにいると、今もっとも会いたくない人が心底不機嫌な顔を前面に押し出して私を見下ろしていた。
「私がいったい何度呼びかけたと思う? その耳は飾りをぶら下げておくためにでもついているのか。こんなところで呆けて、落ちても知らんぞ」
「タナッセ」
 私がようやくそれだけ言うと、彼は手を離しはしたものの眉間の溝は深いままだ。掴まれたところが鈍く痛む。
「それで、何故私を避ける? いい加減気づかないとでも思っているのか」
 ひとつ息を吸って、無理にでも笑ってから力を抜く。無理としか思えないことでもやってみれば意外とできるものだと、これは城に来てから学んだことの一つだ。
 湖からの風は湿気を含んで重い。それは私の髪を揺らし、次いで私の手の届かない高さにあるタナッセの髪を撫でて消える。
「避けてないよ。ほんとに全然避けてない。避けられてると感じるのはタナッセが神に愛されし寵愛者たる私、レハト様に会いたくてたまらなくていつもいつでも私を探して……」
 睨まれた。
「……うそうそ。今のは冗談、害のない寵愛者ジョーク」
 母親譲り間違いなしの眼力に怯んで茶化すと、今度はため息をつかれる。
「ええと、タナッセを避けてたわけじゃないよ。誰とも会いたくなかっただけで」
「おい」
 途端少し焦った声を出す彼はわかりやすい。笑ってしまうことにタナッセはこの私を友人だと思っているから、気安く本心を見せるのだ。この私を。
「うん、なんだろ、今更里ごころでもついたかな。ほら、人って緑の月に気落ちするとかいうじゃない、今赤の月だけど」
 口からでまかせをするする出していると、段々とそんな気になってきた。そうだ、私はちょっと抑鬱続きで、皆を避けて新人らしく仕事に打ち込んでいたのだ。何年目までが新人なのかは議論があるだろうけれど。
「それでかなあ、なんか誰かと会うのがおっくうでさ。タナッセは相変わらず友達いないの?」
「余計なお世話だ。大体お前も似たようなものではないか。それで何だ、具体的に体調が優れないわけではないのか」
 私が背を預けている岩にタナッセが腰掛けて答える。
「別に具合は悪くないよ。仲良いけどヴァイルとはそう簡単には会えないしねえ。つまらないなあ」
「わかっているだろうが人前ではヴァイルと呼び捨てにはするなよ。気鬱で引きこもってなぞいても良くはならんぞ。広間にくらいは顔を出したらどうだ」
 ああいらいらする。彼の気遣いが、心配りがいらいらする。一所懸命話をかわそうとしているのにわかってないのかわざとなのか、私を肚から心配して食い下がるタナッセが大嫌いだ。
「じゃあ人前では私のこと寵愛者様って呼びなよ!」
「誰が呼ぶかお前なんぞ。馬鹿馬鹿しい」
 タナッセが少し笑って、瞬間私は何もかも許して、浮き足立つ。今のこの笑顔は私のためのものだ、そんな独占欲まで顔を出す。馬鹿丸出しだ。
 そこへ私の知らない文官が通りかかり、タナッセに気安く挨拶していった。
――おや殿下、それに寵愛者様。こんにちは。
「……いるじゃん、友達。やったねタナッセ!」
 しみ出てくるもやもやした気持ちを見ないふりして、なるべく明るく言う。改めて心の裡を覗いてみるまでもない。これは嫉妬だ。人の内で育つ最も醜い感情。
「友人と言うほどでもない、知人の文官だ。まあ、懇意にしてもらっている」
 文官に軽く声をかけてからタナッセが言う。普通の顔で、普通の声で。私がこの顔を見慣れるまでどれだけかかっただろう?
 これだからタナッセと会うのは嫌なのだ。
 彼が誰かと親しくしていると嫌な気持ちになって、そんな気持ちになる自分が嫌になる。私には彼を縛る権利など何一つないし、そもそも逃げているのは私なのに。どうせうまくいかないからと何も言わず、そぶりも見せず、それでいて嫉妬だけは人並み以上で。自分がここまで醜いなんて知りたくなかったし、そうさせる彼が憎たらしい。そんなことを思う自分が一番嫌いで、厭らしくて気持ち悪くてたまらない。
 彼といるとそれらが突きつけられるのだ、お前の醜さを自覚しろと断罪されているような気になるのだ。
「まだみんな殿下って呼ぶんだね、言い慣れてるもんね。なんか、あだ名みたいになっちゃったね」
「まあ、十七年もそう呼ばれていたからな」
 静かに話す端正な横顔は複雑さに彩られている。懐かしさ寂しさ、喜び、不快、過ぎ去りし過去への郷愁めいたもの。王息殿下の呼び名は彼の過去そのものがぎっしり詰まっているんだろう。私の知らない、知ることのない彼の半生、年月が。
 私が成人した年の年明け頃は、殿下、殿下ではない、のやりとりがそこここで聞かれたらしい。私は篭りが長引いたのであまり聞くことはなかった。途中から彼は根負けして、殿下と呼ばれても訂正しなくなったらしい。そして同じ頃からその呼び名を皮肉で使う人が減ったようだった。
「じゃあさ、これからは閣下って呼んでもらったら? 英雄譚に出てくる悪役みたいでかっこいいよ、タナッセ閣下。鞭とかもってそう。それかヨアキマス郷ってのはどう? 威厳がありそう。よくなくない?」
 勢い込んで話すとタナッセがうろんな目でこちらを見やる。
「……貴様、少々おかしいぞ」
 知ってる。
「そっかなー」
 私はおかしい。



 むかしむかしある貧しい農村に、貧しい農民の子どもがいました。貧しい農民の子どもはある日その正しき血筋を見出され、本来いるべき場所へと旅立ったのです。そして彼はそこで多くの知見を導かれ、得がたい友人を得、そこを自らの居場所と見いだしたのでした。
 旅が終わっても人生は続く。
 子どもの頃聞いた物語の、貧しい農民の子どもは見いだした居場所でずっと幸せだったんだろうか。多分、自らの居場所だと信じられたら幸せなんだと思う。でもそれはずっと続くのだろうか。それから何があってもそこは彼の居場所なのだろうか。
 お話ならめでたしめでたしで終われるけれども、もちろん現実はそうじゃない。そして私がめでたしめでたし、になれない理由もわかってる。農民の子どもは大切な友人に身の程知らずにも叶わぬ恋をしていて、終わらせる決心がいつまで経ってもできないからだ。
 ここを自らの居場所と認めるには、私は嘘をつきすぎている。


[2]