✥  天国の雑踏

即興小説トレーニングというサイトのお題が面白くちょこちょこ書いているのですが、毎度未完成になるので手直してのせてます。

お題:天国の雑踏 必須要素:ゲロ
ルート未定/天国事情を心配する主人公




 わたしはこの前フィアカントの街をはじめて歩きました。たくさんのお店と露店が並ぶ広場には噴水があり、ねじれた水がきらきら光っていました。お城より高くはありませんが、建物はどれも堂々としており、石畳の上を行き来する人たちはみな思い思いの格好でにぎやかに歩き去っていきます。誰もわたしに注意を払いません。誰もじろじろ見てこないというふつうのことを嬉しく思いましたが、こうもたくさん人ばかりいるのはそれだけで目まぐるしく、歩くのも一苦労です。
 こんなふうに多くの人が行き来し、込みあうことを雑踏と言うのだと、その時ローニカに教えてもらいました。暮らしていた村に雑踏はありません。お城では、舞踏会や市の日にちょっと込みあうくらいです。そうして考えたのが、わたしが死んだら行くことになるという天の国のことです。天国では聖徒と呼ばれる人たちが暮らしているらしいです。聖人が何人いるのかわたしは知りません。雑踏が出来るほどたくさん人がいるのでしょうか。星のかがり火のような夜空を思い出し、あれがみんな人の魂だとしたらずいぶんなことだと思いました。わたしは人込みはいやです。
 神殿のレリーフに刻まれた名前はわたしが思っていたよりずっとたくさんありました。どの人も名前くらいしか知りません。数えていませんが、たとえば十年に一人聖徒が出るなら、七百四十人です。もし神様の宮殿がこのお城と同じくらいの大きさなら、中に入りきらないんじゃないでしょうか。
 天の国はどれくらいの広さですか、とそばにいた神官様に尋ねると我々が暮らす大地より遙かに大きく、星の見える彼方まで広がっている、ということでした。そんなに広かったらはしっこにいる人は神様には会えないんじゃないかと思ってそう聞くと、神の目は常に頭上にあられる、それは天の国であろうと変わりはないが、神の御許に至ることを許されるのは一握りの者だけであるように、神の膝元に常にあることを許される者もまたそうであるのでしょうと、遠回しに仰いました。
「格があるんですね」
「なんですって?」
「序列のことです。聖人であっても格があるんですね」
「そうとも言えるかもしれません」
 神官様はちょっと嫌な顔をして、とってつけたように笑いを浮かべました。
 格があるというのは最近覚えた言葉です。人には持って生まれた格というものがあると、王様の息子さんが言ってました。そのことは今までもなんとなく感じていましたが、改めて言われるとふかく納得し、こういうようにぼんやりしたものをしっかりした言葉という形にすることができるというのは、頭が良いことだなあと感心しました。
 村で一番えらいのは村長さんでした。近くの町の役人さんは村長さんよりえらい人です。領主様はそれよりずっと偉い人で、もっとずっと偉いのは国王様です。神様の次ですから、国王様は人の中で一番えらい人です。みんな生まれつきそうなっています。実はわたしも生まれつき偉い人でしたが、そのことを隠していたので偉い人だと言われませんでした。でも実は偉い人だと分かったのでお城に連れられてきたのですが、ここの人たちはそういうふうにはわたしを扱いません。実は偉い人だったとしても今まで違うように暮らしてきたのだから、急に偉い人だと思えない、ということです。
 はじめて舞踏会に出たとき、上手に踊れなくてくすくす笑われたり、お話しが全然分からずとんちんかんなことを言って眉をひそめられたり、最後の方ではわたしを遠巻きにみんなが見ていたりとさんざんな結果でした。がっくりしながら大広間の外に出ると、後ろからやってきた男の人がぶつかりそうになりました。ローニカがとてもさりげなくわたしの腕に手の甲をすべらせたので、その人に気づいてぶつからずに済みました。その派手な格好の男の人はふらふら歩いていって柱に体当たりし、そのままずるずると地面に滑り落ちて、喉の奥からぐるぐると変な音を出し、それはもう思い切りよく吐きました。
 ローニカが気をつけてくれなかったら、わたしにかかっていたかもしれません。びっくりしてその男の人を観察すると、さっき変ににやついた笑いを浮かべてダンスの誘いを断った人だと気づきました。
 わたしは、何だ、この人は別に立派な人でもないんだな、と思ったのです。ちゃんとした人だからわたしのような、なんだかよく分からない者の相手なんかをしたくないということではないのだと、変に納得したものでした。
 偉い人とはつまり『そういうふうに扱われるから』偉い人なんだと、わたしはようやく分かりました。
 これはつまり、決まりごとなんです。本当に立派な人でも、そのように見なされ、扱われなかったら、その人は立派な人ではないのです。
 その昔、雑踏なんてものと関係なかった頃、天の国とはただただ美しいところなんだろうとおぼろに思っていました。なにもかもぴかぴかして、食べ物がなる木が生えていて、葡萄酒の川が流れているんだろうと。もちろん汚いものなんて何もありません。兎鹿のフンや酔っ払いのげろなんてもっての他です。なにしろ天国なのです、そこにいるのは神様と聖徒です。
 でも、とそこでわたしは考えてしまいます。聖徒とは、わたしなのです。わたしのようなぼんやりした、何が出来るわけでもない、お世辞にも利口とはいえず特別美人でもない者が――わたしはそれらをことさら苦にしていませんが――貴い存在として天の国に招かれるのです。
 そうすると、天の国はここと大して変わらないということもありえるのです。やっぱりくすくす笑われたりするかもしれません。舞踏会で飲み過ぎて吐いてしまうようなうかつな人がいたりするかもしれません。だとしたら天国にも雑踏があるかもしれません。天国に雑踏があるとすれば、それは神様の近くでしょう。神様にお目にかかるためにうろうろしているような人がたくさんいるかもしれません。
 わたしはなにしろ寵愛者ですから、神様のそばにいつも置かれるんじゃないでしょうか。そして何にも出来ないのにいつも神様の近くにいると、嫌な目で見られたりするんでしょうか。
 こうして次々に考えていくと、天の国なんて全然行きたくない、と思ってしまいます。雑踏もいやです。
「神様は、おもしろい人でしょうか?」
「神は人とは違います」
 重ねて尋ねてみますと、くしゃみを我慢されてるような顔で神官様は言われました。仕方なく、天の国で神様とお話しすることになって聖書のお話しばかりされる方だったら退屈してしまう、というようなことを言ってみますと、神官様は丸いお顔を赤くして、神が自分に何を与えてくださるか考えるなどという傲慢な態度を改め、それよりは神のためにできること、奉仕されることを考えるべきでしょうな、と早口で言われ、神殿から追い出されてしまいました。
 わたしは神様に何かして欲しかったわけではなかったのですが、そう思われてしまったらそれが本当のことです。その人が考えることはその人にとってまことの世界です。それが決まりごとだからです。
 それとも誰にとっても本当のことが、天の国にはあるのかもしれません。
 わたしは本当は、神様は何がお好きなのか、どんなことでお喜びになるのかが聞きたかったのです。わたしはおいしいものを食べたり、流れる雲が何に似ているか考えたり、ぬいぐるみを編んだりするのが好きです。でも神様が詩を読んだり楽器を弾いたりするのがお好きでしたら、あんまり話すことがありません。神様も退屈されるでしょう。一緒に剣の訓練をしようなんて言われたらもうお手上げです。石で水切りするくらいならいいですが、剣を使うのはもうぜんぜん無理です。神の国のはしっこにやられてしまうかもしれません。神様のことは今のところ好きでも嫌いでもありませんが、知らない聖人の人たちと暮らすよりは神様の近くがいいと思います。
 歩きながら空を見ると、まだよごれていない怪獣の形をした雲がちぎれてはぐれていくところでした。これはわたしだけが知っている怪獣です。神の国は空にありますけど、そこにもまた空があるのでしょうか。神様はなんでもご存知のはずですから、雲も知っていらっしゃるはずです。わたしだけが知っている怪獣のことも、ご存知でしょうか。
 回廊から中庭に出てそのままずっと歩いて行くと小川が見えてきました。このまえ、この岸でぼんやりしていて、もう帰ろうかなと立ち上がったとき、後ろから誰かが近づいてきた気配があって、振り向きかけた目の前が真っ暗になり、頭のてっぺんにじんとする痛みがありました。がこんという音もすぐそばで響きました。金気と埃のつんとするくさい臭いがして、頭からバケツをかぶせられたんだと気づき、その瞬間思い切り突き飛ばされました。下は川です。湖から引いてきた小川なので、そんなに深くはありません。川の底に尻餅をついて膝まで水に浸かると、冷ややかな笑い声が数人分、足音と一緒に遠ざかっていきました。
 似たようなことは村でもありましたので、そんなにびっくりはしませんでした。濡れると取りにくいでしょうから、麻袋とかじゃなくてよかったと思いました。そうして村であってもお城であっても、わたし自身はべつに何も変わらないだなと、水の中に座ってがっかりし、同じくらいほっとしていました。
 橋の上に寝転がってお尻を乾かしていると王様の息子さんが通りかかり、邪魔だと怒られました。それはそうだと思ったので謝り、通行のさまたげになるといけないので橋の手すりの上に横になると、何をしているのか聞かれたので、濡れたので乾かしていると言ったところ、寵愛者らしくないから良くないというようなことを言われました。寵愛者というのは継承権を持つ偉い人なのだからそのように振る舞わなければならないということでした。
 でもわたしも周りも今までと変わっていないのにと言うと、王子の人は、お前がそのように振る舞わないからそのように扱われないのだ、とゆっくり言いました。
 その言い方が何だかとてもこわく、王様によく似ており、なんと返事をしたらいいのか分からなかったので、そんなこと知らない、と言って走って逃げました。バケツはほうっておきました。
 その時と同じ橋の上に立って、わたしは今この場所で立派な人になりたいのか考えてみました。
 わたしはここでよい暮らしをしています。ぼんやりしていても怒られませんし、ひもじい思いをすることもありません。特別なにかを成し遂げなくとも神の国で暮らせます。でもさきほどの神殿でのことを思い出しますと、もっと上手に話すことができたら神官様を怒らせずに最後までお話しできたのかもしれないと思いました。それならお勉強をもう少し真面目にやってもいいかもしれません。
 もし神様がまだ汚れていない怪獣のことをご存知でしたら、そのことについて間違いのないようお話ししたいのです。そのためにはやはり、練習が必要かもしれません。
 思っていることを正しい形にするためには、人込みを巧みに歩けるようになるためには、どのくらいの練習が必要なんでしょうか。それらしく振る舞えば、それらしく扱ってもらえるのでしょうか。本当に?
 今度の舞踏会までは無理でも、大人になる前には格好がつくようになればいいな、と思いました。わたしはいつか、天国の雑踏をすり抜けて行かなくちゃならなくなるのかもしれないのですから。