✥  普通と規則

タナッセ愛情Bエンド後、領地にて
好友印友がマイナスぽい二人が交渉術を一緒に訓練する




 敷布が冷たいとぼやきながらレハトは何度も寝返りを打っている。同じ寝台に隣り合う身としては眠りづらいことこの上ない。
「ねえタナッセ」
「……もう寝ている」
「眠れないからえっちなことしようよ」
 どうせまたろくでもないことを言い出すのだろうと、いい加減な返事をすると本当にろくでもないことを言い出された。背後から髪を軽く引っ張られる感覚に硬直が解ける。
「タナっ……む」
 自分でも驚くほど機敏な動作で身を反転させ、これ以上何か聞かされる前に全力で口を塞いでやった。闇に浮かぶレハトの白い肌は夜の空気に冷やされ、ひんやりした温度を手のひらに伝えてくる。何度か一人深呼吸し、冷静に、と自分に言い聞かせた。
「むぐ」
「あのな。お前は本当に、もう……。いいか、よ、よく聞くがいい。まず、ええと……まずひとつはその言葉遣いを改めろ。成人した身分ある女性がそのような……なんだ、庶民の俗語? か? そんなものを使うのはよせ。それとこれは以前にも言ったが、たとえ夫婦間といえどもあまりに砕けた物言いは望ましくない」
 手のひらに触れる唇がもぞもぞと動いて、それに反応する自分が情けない。
「もうひとつ!」
 強く押しつけて情動を振り切り、できうる限り小さく叫ぶ。
「そ……そういったことは、お、女の方から言い出してはいけない。……わかったか」
 口を塞がれたまま、妻は見開いた目をこちらに向けてこくこくと小さく何度か頷いた。分化してなおあどけなさが残る彼女の小動物めいたその仕草は愛らしく、華奢な容姿と相まってひどく健気で可憐に見える。見えるだけなのは身に染みている。
「本当に分かったの……な、おまっ……! ば、馬鹿者、ててて手を舐めるな!」
「鼻をふさがないで、苦しい」
 手を弛めた途端彼女は鼻に皺を寄せ、幼児のごとき態度で舌を出した。窒息しちゃう、と呟き鬱陶しそうにぶるぶると頭を振ったかと思えば、勢いよく枕に倒れ込んで睨みつけてくる。乱れた髪は気にとめもされなかった。
「だいたい何その、女の方から言い出してはいけないって。また変な規則つくってさー」
「変な規則とはなんだ、お前は馬鹿か。いや、別に規則ではないが、当然のことだろうが」
 語尾をのばすのもやめろと続けると、口を半開きにしてまばたきをくり返えされる。なんだこの反応は。
「え、なんで?」
「なんでじゃない、常識だ。お前幾つになった」
「言葉遣いはもうちょっと気をつけるけど。せっかく二人っきりなんだし固いこと言わなくてもって思うけどでもまあ一応心に留め置いておきます。でもさ」
「ですが」
「ですが」
「私から誘っちゃいけないの?」
「当たり前だ!」
「えっ……嘘。駄目なの? なんで?」
「な、なんでって……」
「どうして?」
「そ……そういうものなのだ、分かっているだろう」
 不満があるというより与太話でも聞いているかのような怪訝な様子で見上げられ、既視感にとらわれる。この顔は見たことがあるなと遠い記憶をたどれば一度目の婚約の申し込みをしたときだ。明らかに嘘だと疑ってかかり、こちらの意図を窺い騙されまいと探る視線。あのときは確かにほとんどが偽りだった、だが今寝台で訳の分からない追いつめられかたをしている私の言葉は一片の曇りなく本心であり、世界的事実のはずだ。
 レハトは軽く唇をとがらせて何と言おうか迷っているようだった。もしかして私のほうが間違っているのだろうかと疑念が心に入り込む。そもそも閨での規範など誰にも尋ねたことなどないのだ、世のご婦人方も意外と……いやいやそんなわけあるか。
「でも村だとよくあったよ。母さんも男の人に言っ」
 全速で口を塞ぎにかかり、何かされる前に素早く離れる。なぜこんなことばかり巧くなるのか、新婚とはこういうものではないはずだ。
「おま……お前な……自分の母の枕話など他人に話すな! いや身内に限らずそういったことはみだりに口にするな、いや喋るな!」
「別に細かく報告しようってんじゃないのに。母さんはそういう話、普通にする人だったし。村でもそういうの自然む」
「あのな。お前はもうどこぞの山田舎の村の子供ではないのだ、その頃とは年齢も立場もあまりに違う。一年城に居て仮にも一時は王を目指した身だろう、その程度の分別くらいはついているだろうと思ったのは私の買いかぶりか」
「仮じゃない、あとちょっとだった」
 途端むっとして跳ね起きたレハトはまったく予想外の箇所に身を乗り出して反論してきた。
「ならば自分がどう振る舞うのが正しいのかくらい分かるだろう、茶々を入れるな」
 仕様がないのでこちらも身を起こして寝台に直る。星が灯る時間に夫婦の寝室でなされる会話とはとても思いたくはないが、今さら引っ込みがつかない。
「第一あとちょっとだった、というのは何を根拠に言っている。いや貴族連中の評判は悪くなかったがお前、神殿で忌み嫌われてたぞ。当初神殿はもう一人の徴持ちを引き入れようとそれこそ躍起になっていたというのに、一体何をやらかした。いや言わんでいい、聞きたくはない。剣の稽古も疲れるのはいやだとか馬鹿なことを言って、平気で手を抜いていたろう。なるほど今は剣の時代ではない、だが王がそれでは示しがつかんのだ。わずか一年で相当伸びたものだとは思うが、お前が奴に勝てる要素があったとは到底思えんぞ」
「……泣くよ」
「は?」
「それ以上言ったら私泣くから」
 半目で悲しみを表現しているらしい顔は、泣きそうというよりこちらに掴みかかる寸前のように不機嫌で険悪だ。わざわざ見せつけるように乗り出してこちらを脅してくる。
「自分で言う奴があるか、大体お前が」
「あーもう泣く、ほんと泣くから、あ、ほらほら」
 馬鹿らしくなってふくれっ面のレハトをいなすと、一層これ見よがしに顔を覗き込んで食い下がってくる。今にも地団太を踏んで喚き出しそうだ。
「わかったわかった、わかったからよせ、やめろ、おい」
「……」
「わかった、言い過ぎた。悪かった……どうしてお前はそう……おい、なんだ本当に泣いてるのか」
 盛大に鼻をすする音と顔を伏せて目をこする動きに髪をすくい上げてみれば、レハトは曲げた口を嫌々ひらいて囁いた。
「……フリしてたらほんとに悲しくなってきた」
「振りってお前な……。ほらもう泣き止め。いい歳して鼻をすするな、みっともない」
「いいトシって言った……」
「いちいち言葉尻をとらえるな。落ち着いたか?」
 信じられないほど早く泣き出したレハトは泣きやむのも感嘆するほど早かった。何の才能だかしらんが。顔を拭いてやり、頭をなでろと騒ぐ妻の髪をかき回してやると、今度はなにが楽しいのかやたらな笑顔になって身をすり寄せてくる。
「お前は兎鹿か」
「も゙えー」
「馬鹿な真似をしてないでもう寝ろ、冷えるぞ」
「遊んでくれなきゃ噛みつくぞ」
 言いながらもレハトは大人しく布団に潜り込み、くすくすと笑いながら、タナッセも早く、と袖を引っ張ってくる。急激に襲われる疲れにため息を洩らしながら彼女に習い、頭を横たえた。
 寝台の中は暖かく静かで、人心地つく思いだった。奴と結婚してから、いや出会ってからずっとこんなことの繰り返しだ。振り回されて、なだめての。もっともレハトに言わせると私の方が彼女を振り回しているらしいのだが、理不尽な言いがかりとしか思えない。
「ねえ、結局どうすればいいのかよく分からないんだけど」
 隣から思い出したように発端に戻って疑問を投げる声がする。忘れたままでいればいいものを。
「せんせえ教えて」
「こ、言葉遣いに気をつけろと言ったろう」
 どう言ったらいいものか、そもそも夫婦間とはいえこういったことは話題にしていいものなのだろうか。世間一般では普通に行われていることなのだろうか、判断材料にあまりに乏しい。
「こういうことは、その……お前も多少は修辞をかじったろうが。さりげなく、直截な言葉は避けてだな、装飾的な言い回しで遠回しに……その……時機を見て……」
 それ以上は思いつかず、ちらと横を見れば肝心のレハトは体ごとこちらを向いて真面目な表情を装ってはいるもののどこか上の空なのが丸わかりだった。
「お、お前が教えろといったから教えてやっているのだ、ちゃんと聞いているのか」
 ちゃんと聞くような内容でもないことは自分でも分かってはいる。というかそもそもなぜ私が女から男を誘う方法なんぞを教えなければならないのだ、それも自分の妻に。というか教えた内容で誘われるのは私ではないのか。これは何の罰だ。
「ねえ、いま考えてみたんだけど、くっつきたいときに心臓の音が聞きたいってお願いするのはどうかな?」
「それは……まあ……いいのではないか」
 彼女なりに婉曲な表現を考えていたらしい。いささか幼稚でほのめかしというよりは子供がねだるような文句ではあるが、らしいといえばらしい。
「……ちょっと言ってみろ」
「ええーいいよ、そんなの。思いついただけだから」
「いいから、ほれ」
「えー……えっと、あの……タ、タナッセの……あの、ね……しっ心臓の音を聞かせて、欲しい、な……」
 言い淀み何度もうつむいたりこちらを見上げたりをくり返しながら、夜目にも赤く染まった頬で舌っ足らずにおねだりする姿は子供らしさの欠片もない。言葉よりその風情の方がよほどこみ上げるものがあり、腕の中に引き寄せて頭を抱えてやった。急な動作に驚いたのか短い叫びが小さく尾を引いて胸が騒ぐ。
「なんかすっごく恥ずかしい」
「私はあんな直接的な物言いの方がよほど恥ずかしい」
 腕の中で小さな体が居場所を見つけようとごそごそする。しばらくの間髪や背を撫でてふと気づくと、いやに静かになっていた。
「レハト?」
「あったかくなったら眠くなってきた……」
「……貴様。人をからかうのも大概にしろよ」
「別にからかってないし……」
 ほとんど反射だけの返事が小さく返ってくる。本当に眠いらしい。
「遠回しにさりげなく言うのがいいとかさ、タナッセは難しいなあー……それじゃほんとの気持ちがどこにあるのかよく分かんないよ」
「別に……お前に本心を隠しているとか、そういうわけではない。貴族とは何事も迂遠なやり方を良しとするのが流儀なのだ。私は王城で生まれ育ったから特に……そういう所作が染みついているだけだ」
 今さら欲求に素直になれと言われても無理なものは無理だ。
 そう考えれば澄んだ空気と裏表のない村人たちの中で育った子供が、ずいぶん貴族的な振る舞いを身につけたといっていいのかもしれない。
「やぱし私は貴族に向いてないな。王とかむりだ」
 むにゃむにゃと呟かれる声は今ひとつ呂律が回っておらず、より乱れた言葉は城に来たばかりの頃を思わせた。残念ではあったが寝かせてやることにし、いつの間にやら肩に入っていた力を抜けるにまかせた。
「領主の奥方でせいいっぱい……」
 それを最後に寝室には沈黙が満ち、後には規則正しい吐息が小さく夜着の胸を揺らす。
「……そうだろうな」
 そしてそのままのレハトでいて欲しいと願い、細い髪の手触りを感じながら私も眠りに落ちていった。