✥  臆病者達の恋[4]

[1] [2] [3] [4] [5]




 葬礼の準備は整っていた。祭壇には王の到着とともに新しい花が供えられ、聖歌隊は神の国へと迎えられた魂を讃える歌を歌い続ける。
 故人の息子であるタナッセと国王でありランテ領主でもあるヴァイルは、祭室の内陣から出ることもできぬほど延々と続く挨拶に追われ続けた。
 かわってレハトは何もすることはなかったし、何もしないことが求められていることもわかっていた。話す相手もなく、生前と変わらぬほど整えられたリリアノの端然たる姿をぼんやりと思い返す。
 私たちは皆諦めている。タナッセもヴァイルも、リリアノ本人すら彼女の死を必然と受け止めている。あらかじめ決められていたことのように、ただ淡々と処理されていく。
 そんな中で彼女の元夫君がただ一人、突然ぽろぽろと涙をこぼしたり鼻をすすって泣き止んだりを繰り返していた。
 祭室の天井は高く、天窓から幾筋もの光が差し込む。むせるように焚かれた香が白いもやとなって光の中で揺らめいていた。

 衛士に付き添われて屋敷の裏手に出ると、レハトはひとつ深呼吸した。昨日遅くに到着したときは慌ただしく部屋に押し込まれて眠っただけだった。陽光の下で初めてまともに海を見る。
 見渡す限りの水の表面は、天日を反射して目にまぶしい。薄青とも灰ともつかぬ水面に、白く濁った波が泡立つ様は美しくはなかったが奇妙に力強く、そのあやふやな色相をレハトは嫌いではないと思った。
「レハト」
 何をするでもなく波を見ていると、妙に慌てた様子でタナッセが急ぎ寄ってきた。目線でどうしたのかと問うと、探るような視線を向けられる。
「……いや、そろそろ晩餐の支度がいると呼びに来ただけだ。お前、なんともないか」
「ん、ちょっと香で気分が悪くなっただけ、もう平気」
 長く風に当たっていたせいか少しからだが冷えたが、気分は良くなっていた。
「いや、そ……いや、そうか。ならばいい、ほら早く来い」
 いいと言いつつもタナッセはなにか気がかりがありそうに、せわしなくレハトの腕をとる。
「何、どうしたの」
「いやなんでもない。こんな所でぼけっとしているな、体を冷やすぞ」
 ふと、タナッセとの間に距離を感じてレハトは虚無感を覚えた。
 ランテの名に比して慎ましやかな邸宅だと皆が言う、この立派な屋敷で彼の母は育った。彼は国の中枢、巨大な石造りの城で産まれ育った。私の生まれはわからず、故郷は辺境の貧村だ。住む世界が違う。
 お前といると肩の力が抜けるとタナッセは言ってくれたが、それは時折おしゃべりするにはいい相手だ、という意味でしかない。
「どうした」
「なんでもない」
 同じ言葉を繰り返しながら、それでも同じでいられない。
「レハト。……お前に話しておきたいことがある。以前からヴァイルが母上にランテ領を返還したいと申し出ていた話は聞いていたか? 母上は受け入れなかったが、今度はその鉢が私に回ってきた。ヴァイル……陛下は私にランテ領を任せたいとの仰せだ。それを受ける気ははなからなかったが……執政としてならば、役に立てるやもしれんと考え直した。いつまでも城にいるのもどうかと思っていたところだしな。それで……その、ヴァイルとも話したのだが。お前はこのところずいぶん……気鬱が続いているだろう。少し城から離れた方がいいのではないかというのがヴァイルの意見だ。で、だ。誰も知り合いのいない処も淋しいだろうし、元の村にやるわけにもいかんしな。つまり、しばらくここに留まって静養したらどうかと、思っ……て……」
 振り返って見おろしたレハトの顔は、声をかけるのをためらうほど蒼白だった。
「ヴァイルと、話したい」
 乾いた唇がようやっとそれだけ紡いでレハトは黙り込む。唐突な動作で走り出そうとする腕をとっさに掴むと、ふらりと体が傾ぐ。
「あ、す、すまん。その、今は無理だろう。せめて夕餉のあとにしろ。……お前も少しは食べろ」
 とっさに受け止めた体の軽さに内心おののきながら、タナッセは平静を装う。レハトは瞬き一つせず、横を向いたまま、わかった、と小さく頷いた。
 着替えに戻るというレハトの後ろ姿をタナッセはその場で見送る。あんなにも劇的な反応を返すとは考えていなかった。ひどく疲れを覚えて目頭を押さえる。何の気なしに、肩についた糸くずを払おうとつまみ、それがレハトの髪だと気づいてしまう。先ほど触れたときについたのだろうそれを、何故かすぐに捨てることができず、さりとて元の場所に戻すわけにもいかず、タナッセはしばらくその場に立ち竦んだ。

 夕食は多くの上級貴族たちが一堂に会す盛大なものだった。
 晩餐と言うには人々の声は小さく、酔って騒ぐ者もいなかったが、これで終わったと奇妙に弛緩した空気が流れていた。こうした正餐もこれでしばらくはお別れだと思うと、タナッセは心底ほっとしていた。やはり自分には向かないのだろう。
 レハトは申し訳程度に皿の料理を崩して、早々に退出した。誰とも話さず目も会わさぬ寵愛者に人々は眉をひそめたが、ことさら話題にする者もなかった。


 日が月に代わり、ヴァイルがようやっと自室に戻ると、レハトがすでに待ちわびていた。月の光を背に、なにかを挑むようにまっすぐに王を見つめてくる。
「なにか飲む?」
「どうして?」
 レハトは彼の言葉を無視して尋ねる。ヴァイルもこうなることは何となく分かっていた。
「俺、そんなに変なこと言った? レハトの具合が悪いから、しばらくここで静養したらいいんじゃないかって、それだけだよ」
 普段のレハトならその建前を受け入れたかもしれない。
「ど……うして。約束、したじゃない。ずっとお城にいてどこにも行かないって。僕は。ここにいるって。ヴァイルがいったんじゃない。どうして?」
 半ば支離滅裂な言葉を並べながらレハトが詰め寄る。青白い顔に瞳だけが熱に浮かされたように輝いている。
「……レハト。自分の状態、分かってる? わかってないよね」ヴァイルはあくまで、子ども時代からの彼女の友人という立場から語りかける。「心配しないでっていうなら、心配させないようにしなきゃいけないよ。ちゃんとご飯食べて、寝て。何時間も同じ場所で座り込んだりしないでさ」
 ひどく優しい口調でヴァイルがレハトを諭す。
 ヴァイルが正しい、レハトはそれをわかっている。自分はわがままに過ぎるし、迷惑をかけている。城に残ってヴァイルを手伝うなんてことは他の人にもできる。それでも僕たちはたった二人の寵愛者ではなかったのか。


 王城とよく似た堅牢な造りの廊下をレハトは歩く。むき出しの石畳なのに足音がせず、変だな、とそればかりを考えた。もう皆自室に引き払ってしまったのだろう、暗く誰の気配もない館は墓のようだ。
「レハト」
 広間を通り抜けようとしたとき、小さく声をかけられてレハトは足を止めた。
「……タナッセ」
 彼女を待っていたらしく、立ち上がり角灯を手に寄ってくる。
「……大丈夫か。お前、ひどい顔をしているぞ」
「それは生まれつきだよ」
「何を言って……」
 平坦な声に戸惑ってレハトを覗き込むが、彼女はタナッセを見ていなかった。なにも見てはいなかった。
「僕、ヴァイルに見捨てられちゃった」
「何を突然おかしなことを。奴はお前を慮って静養を勧めただけだ。貴様が必要ないというなら今すぐ城に戻り勤めを全うしろ」
 否定したいがあまりひどく乱雑な言葉遣いになる。よかれと思ってしたことだけに、レハトの態度にタナッセの衝撃は大きかった。
「約束したのにな。なのに」タナッセはわかっていない、僕はヴァイルに捨てられたのだ。ヴァイルは僕がいつ自分を捨てるか考えるのに耐えられなくなったのだ。
 僕とヴァイルは似ているんだろう。相手に求めるものが大きすぎて、期待しすぎて少しでも傷がつけば何もかも駄目だと思い込んで捨ててしまう。逃げてしまう。相手のせいにでもしてでも。
 きっと本当に欲しいならそう言わなければいけないのだ。彼の足にすがりついていかないでここにいてと、泣いて頼まなければいけなかったのだ。でもできなかった、僕も、ヴァイルも。
「僕とヴァイルは似すぎてるんだ。だから上手くいかない」
「……そうか。上手くいくと思っていたが、そうか……その、ヴァイルは決してお前を厄介払いしたわけではない。いつでも戻ってきて欲しいと言っているし、その……王配の座も。お前のためなら空けておくだろう」
 自分のいる世界から切り離されるのは二度目だ。村から連れ出され城を追い出され、今度はいつこの屋敷から放り出されるんだろう。
「ヴァイルはそんなこと望んでないよ」
 ぼんやり答えるレハトはそのとき、床の影を見ていた。
 日の下とは違い、角灯の明かりで影は長く伸びる。こうしていると二人の影は隣り合って重なり、寄り添う恋人同士に見える。
「……タナッセ」
 そっと彼を見るといつも通りの仏頂面。
 ここで愛してると言ったらどうなるだろうと、夢想する。
 決まってる。驚かれて、怒られて、呆れられ、諭され諫められ、なだめられ気遣われて、それから距離を置かれるのだ。
「私のこと、友達だと思ってくれる?」
 口の端を持ち上げてタナッセは笑う。幾分ほっとしたようにいつも通りの苦笑を見せる。
「何だ突然に。そうだな、手はかかるわ訳の分からんことばかり言うわ、まったくろくでもない奴だが、友人だといってもいいかもな」
「よかった」
 もうそれで十分じゃないか。


[5]